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大学教育は「伝達型」から「体験型」へ

=試行錯誤のリモート授業(上)=

2020年06月02日

新型ウイルス

客員主任研究員
松林 薫

 新型コロナウイルスはビジネスの世界だけでなく、大学教育にも大きな変革を迫っている。日本では、新型ウイルスのパンデミック(世界的流行)が入学・進級シーズンを直撃。教員も学生も通常の授業や行事が突然できなくなり、あわててリモートに切り替えることになった。

 かく言う筆者も大学などで授業や研修を受け持つため、この1カ月はリモート授業の準備に追われた。他大学の教員と情報交換しながら、試行錯誤しているところだ(授業の具体的な工夫については=下=で紹介する)。本稿では筆者がリモート授業の準備や試行の中で気づいた点をまとめた上で、授業のデジタルシフトが大学教育にもたらす変化について考察する。

写真自宅からリモート授業
(写真)筆者

 この1カ月で実感したのは、リモート授業の①潜在力の高さ②インフラの貧弱さ③リアル授業との違い―の3点だ。それぞれまとめると、以下のようになる。

①潜在力の高さ

 パソコンとテレビ会議システムを使ったリモート授業でも、「できること」は意外に多い。プレゼン用のスライドを使った説明や質疑応答はもちろん、工夫次第ではグループワークも何とかこなせる。途中で選択式の問題を出し、答えを自動で集計するツールなどが使えるので、リアル授業の限界を超える潜在力さえある。後述の課題が克服されれば、かなり高度な教育が可能になるだろう。

②インフラの貧弱さ

 ただし日本の現状では、リモート授業の潜在力を十分に引き出せている例は少ない。最大の原因は、あらゆる社会・経済活動が一気にリモートに移行したため、通信インフラが限界に近づいていることだ。知人から聞いている範囲でも、授業の途中で回線接続が途切れたり、大学などのサーバーがダウンしたりといったトラブルが頻発している。回線容量が不足するため、リアルタイムの授業をあきらめ、資料と音声ファイルだけ提供する例もあるという。一方、学生側では経済的な理由により、必要な機材や通信環境を整えられないという問題が表面化している。

③リアル授業との違い

 どうやらリモート授業は、リアル授業を単純に「代替」するものではなさそうだ。現在は応急措置として、従来の授業形式をそのまま持ち込んでいる例が多いが、すぐに壁に突き当たるだろう。学生が教員の話を90分も聴き続けられるのは、教室の空気が醸し出す「ライブ感」によるところが大きい。学生の集中力を維持するには、リアル授業とは異なるアプローチが必要であり、そうなると教育効果も自ずと違ってくる。リアルとリモートにはそれぞれ長所と短所があり、ある意味では補完的だ。「全く別物」と考えて使い分けるという意識が必要だろう。

 こうしたリモート授業の導入は、教員と学生の双方に「大学や授業の価値とは何なのか」という本質論を考えるきっかけを与えた。上記のように、教員が教壇から一方的にしゃべり続ける授業は、テレビ会議システム上で簡単に実現できる。それどころか、授業を動画に撮ってアップするだけでも「代替」は可能。しかしそうなると、わざわざ高い授業料を払って「大学で学ぶ意義とは何なのか」という疑問が生じるのである。

 裏返せば、教員と学生が教室という「場」に集まり、対面でしか実現できない「学び」とは何かが問題となる。学生はこの1〜2カ月の間、ある種の授業がリモートで置き換え可能な事実を知ってしまった。そうなると、リモートを超える体験を提供しなければ、大学は存在意義を示せなくなるだろう。では、どういう授業であれば学生を納得させることができるのか。

 それは突き詰めると、実験や実技、グループワークなどを伴う「体験型」の授業ではないか。リモート授業をしてみて実感したのは、知識を一方的に伝達するタイプの授業に比べ、実技などを伴う授業は実現がはるかに難しいということだ。リアル授業でも講義と実習では後者の難易度が高いが、リモートではその差がさらに開くのだ。

 例えば筆者は文章術を教えているが、従来と同じ実習プログラムをリモートで実施するのは不可能に近い。工夫することによってある程度は再現可能だが、伝えられる知識量は大幅に減り、実技やグループワークなどの体験の質も落ちる。テレビ会議システムなどのツールが進化したとしても、教室と同じレベルにするのは極めて難しいだろう。理科系の実験や体育・音楽などの実技では、さらに難易度がアップする。言い換えれば、そうしたタイプの授業に力を入れなければ、学生の満足度は低下していく可能性がある。

 ただしリモート授業には、そうした体験型の授業を実施しやすくする面もある。知識の説明は動画で済ませ、その応用を教室で行う「リモートとリアルを組み合わせた授業」がしやすくなるからだ。例えば、教員があるテーマについて解説する20〜30分の動画を、学生には授業前に見てもらい、教室でそれについてグループディスカッションと発表を行うといった方法が考えられる。

 こうした手法は予習段階で授業内容を理解してもらうという意味で「反転授業」と呼ばれ、以前から教育業界では注目されていた。しかし、予習用の動画を作り、学生に事前に視聴してもらう手間がかかるため、あまり広がっていないのが実情だ。リモート授業が導入されたことで、こうした授業を行うハードルは一気に下がったといえる。筆者が担当する文章術の実習でも、この手法を導入すれば実技に充てる時間を大幅に増やすことができるだろう。

 一方、知識伝達型の授業でも、リモート技術の活用によって質を高められる余地がある。中でも期待できるのが、幅広い分野から実務家を講師として呼びやすくなることだ。例えば、筆者が担当するメディア論の授業では、第一線の記者や編集者を呼んで話してもらうことがある。周辺にメディア企業が少ない地方の大学ではそうした授業が難しかったが、外部講師のリモート出演が可能な設備さえ整えれば、距離を気にせず呼ぶことができる。もちろん、海外在住の人に講師をしてもらうことも可能だ。これも広い意味で「体験型」の授業といえよう。

 新型ウイルスの脅威が後退したとしても、授業のリモート化がストップするとは考えにくい。リアル授業を軸としながらも、一部をリモートに切り替えたり、リアルと組み合わせたりする動きが加速するはずだ。そうなれば、従来の大学教育では大部分を占めてきた知識伝達型の授業では、学生から評価を得にくくなる。リモートの利点を取り入れながら、いかに体験型の授業を提供できるかが、大学の生き残りも左右するのではないだろうか。

松林 薫

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