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支持率・失業率でみる戦後の米大統領選(第3回)

=レーガン、ブッシュ(父)、クリントン各大統領=

2020年08月20日

内外政治経済

研究員
芳賀 裕理

 第3回は1981~2001年の間のレーガン、ブッシュ(父)、クリントンの各大統領をとり上げる。米国はソ連との外交交渉で冷戦終結に注力する一方で、湾岸戦争では「世界の警察官」としてイラクと交戦した。一方、インターネット時代を迎え、長期低迷を続けていた米国経済はITを中心に復活を果たす。

大統領支持率と失業率図表(注)ピンク線は大統領選投票日
(出所)支持率は米ギャラップ社、失業率は米労働省

⑦第40第大統領ロナルド・レーガン(共和党、イリノイ州出身、在任1981年1月~1989年1月)

写真(出所)ホワイトハウス公式サイト

 レーガン氏は大学卒業後、ラジオ局のスポーツアナウンサーとして大リーグ中継を担当。その後、ハリウッドで映画俳優に転身し、さらに政界を志してカリフォルニア州知事に。1980年大統領選に出馬し、カーター氏に圧勝した。

 就任後のレーガン氏はまず、長期低迷を続けていた米国経済の立て直しに着手。向こう3年間で個人所得税の25%引き下げなどを柱とする大型減税を断行した。民間から活力を引き出して投資を促進し、雇用も拡大するという供給重視の経済政策を推進した。

 一方で、レーガン減税には財政赤字を拡大させる負の側面があり、米国は貿易赤字と合わせて「双子の赤字」に苦しめられる。それでも原油価格下落などに助けられ、インフレ率は就任当初の13%超から1期目の後半には5%以下まで低下。1982年後半以降、景気は拡大に転じ、2ケタを超えていた失業率も1984年大統領選までに7%台まで下がった。民主党のモンデール氏を寄せ付けず、圧勝して2期目を迎えた。

 レーガン氏は外交政策では元々タカ派でならし、ソ連を「悪の帝国」と非難していた。しかし持ち前の柔軟性を発揮し、冷戦終結に向けて尽力する。1987年、ベルリンの壁の前で「ゴルバチョフ書記長、この壁を崩してください」と呼び掛け、その2年後に壁は崩壊する。同年12月の米ソ首脳会談では、両大国が欧州における中距離核戦力(INF)全廃条約に調印。史上初の核削減が実現した。レーガン氏の支持率は退任した1989年1月でも60%を超えていた。

⑧第41代大統領ジョージ・H・W・ブッシュ(共和党、マサチューセッツ州出身、在任1989年1月~1993年1月)

写真(出所)ホワイトハウス公式サイト

 ブッシュ(父)氏は第二次大戦の太平洋戦線でパイロットとして活躍後、テキサス州での石油事業で成功を収めた。政界に転じて連邦下院議員や国連大使、中国連絡事務所長、CIA長官などを歴任。副大統領として8年間、レーガン大統領を支えた。そして、レーガン氏の後継者として1988年大統領選に出馬。民主党のデュカキス氏を破り、就任した。

 しかし、冷戦終結に努めたレーガン氏とは対照的に、ブッシュ(父)氏は「戦時大統領」となる。1990年8月、イラクのフセイン大統領が突如、隣国クウェートに侵攻したのだ。湾岸戦争の勃発である。

 ブッシュ(父)氏が起用したパウエル統合参謀本部議長はベトナム戦争の教訓を活かし、「パウエル・ドクトリン」で応戦する。すなわち、武力衝突はぎりぎりまで回避するが、いったん開戦した後は大量兵力を一気に投入し、短期間で勝利を収めるという戦争哲学である。

 ブッシュ(父)氏は米兵力54万人をペルシャ湾岸地域に集結。その一方で、武力行使に関して国連安保理の支持をとりつけ、多国籍軍を編制した。撤退を拒否するイラクに対し、「砂漠の嵐作戦」を発動し、イラクの首都バグダッドに大規模な空爆を敢行。地上軍を投入し、クウェート解放を実現した。

 図らずも戦時大統領となったブッシュ(父)氏の支持率は急上昇し、最高89%を記録した。このため「再選間違いなし」とみられたのだが、経済に足を引っ張られた。1988年大統領選で「私の唇を見て。増税はしない(Read my lips: no new taxes.)と公約したにもかかわらず、戦費拡大などに伴う財政赤字の膨張で増税に踏み切り、世論の不興を買ったのだ。

 湾岸戦争後の景気悪化に伴い、失業率は8%近くまで上昇した。このため、1992年大統領選の直前、支持率は急落して30%を割り込んだ。民主党候補のクリントン氏が「大事なのは経済なんだよ、愚か者(It's the economy, stupid.)」とブッシュ(父)氏の経済失政を猛攻撃。第三極として出馬した大富豪ペロー氏にも票を奪われ、ブッシュ(父)氏は再選に失敗した。

⑨第42代大統領ビル・クリントン(民主党、アーカンソー州出身、在任1993年1月~2001年1月)

写真(出所)ホワイトハウス公式サイト

 クリントン氏は初の第二次大戦後生まれの大統領。エール大学法科大学院に在学中、ヒラリー・ロダム氏(後の国務長官)と出会い、卒業後に結婚した。アーカンソー州司法長官などを経て、32歳の若さで同州知事に就任。1992年大統領選に立候補した。

 前述した通り、クリントン氏は経済に照準を合わせてブッシュ(父)氏を撃破した。就任後、ゴア副大統領と二人三脚でインターネットの普及に努め、ITを柱に据えて米国経済を復活に導く。グリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長の低金利政策にも助けられ、財政収支は黒字に転換した。景気は拡大を続け、失業率は4%まで低下した。

写真グリーンスパンFRB議長(右)
(写真)中野 哲也

 こうした好調な経済を背景に、1996年大統領選では共和党のドール候補に楽勝した。2期目に入ると、ホワイトハウス実習生との不倫問題が発覚し、クリントン氏は弾劾の危機に直面する。しかし、失業率が4%まで低下した好景気に支えられ、60~70%の支持率を維持して任期を全うした。自身は白人だが、黒人からの人気が高い大統領として知られる。


【参考文献・資料】
米ギャラップ社・世論調査結果
米労働省・雇用統計
「アメリカ史(上)」(紀平栄作編、山川出版社)
「アメリカ史(下)」(同)
「大統領でたどるアメリカの歴史」(明石和康 著、岩波書店)
カリフォルニア大学サンタバーバラ校「The American Presidency Project」
ホワイトハウス公式サイト
日米の各種報道など

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芳賀 裕理

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