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支持率・失業率でみる戦後の米大統領選(第2回)

=ニクソン、フォード、カーター各大統領=

2020年08月19日

内外政治経済

研究員
芳賀 裕理

 第2回は1969~1981年の間のニクソン、フォード、カーターの各大統領をとり上げる。米国はベトナム戦争の後遺症に苦しみ、経済が疲弊した。失業率は総じて高水準で推移し、各大統領は支持率低下に苦悩する。ニクソン氏は政界スキャンダルによって任期途中で辞任し、2期目を目指したフォード、カーター両氏も大統領選で敗れた。

大統領支持率と失業率図表(注)ピンク線は大統領選投票日
(出所)支持率は米ギャラップ社、失業率は米労働省

④第37代大統領リチャード・M・ニクソン(共和党、カリフォルニア州出身、在任1969年1月~1974年8月)

写真(出所)ホワイトハウス公式サイト

 ベトナム戦争の泥沼化と反戦運動が燃え盛る中の1968年大統領選。1960年選挙でケネディ氏に敗れたニクソン氏が接戦の末、民主党のハンフリー氏を破り、共和党が政権を奪還した。

 ニクソン氏は就任後、アジアにおける米国の軍事介入を徐々に減らしていく「ニクソン・ドクトリン」を発表。ベトナム派兵も削減し、戦争終結に向けて道筋を付けた。

 外交政策では、ニクソン氏は冷戦政策の再構築を目指した。キッシンジャー大統領補佐官(国家安全保障担当)の才覚を使い、サプライズ外交を展開。1972年2月、自ら電撃訪中して毛沢東国家主席との会談に臨み、米中関係は正常化に向けて大きな一歩を踏み出した。翌月はソ連を訪問し、ブレジネフ共産党書記長と会談。5月には第一次戦略兵器制限取り決めと弾道弾迎撃ミサイル制限条約に調印した。

 経済政策でも、ニクソン氏は世界を驚かせた。1971年8月、ドルと金の兌換を一時停止したのである(=ニクソン・ショック)。米国を中心に国際通貨基金(IMF)と世界銀行が世界経済の秩序を維持するという「ブレトンウッズ体制」は転換点を迎えた。米国は経済力の衰退に伴い、1ドル=360円という固定相場を放棄し、変動相場制に移行する。米輸出企業は採算が好転する半面、日本経済は円高に苦しめられることになる。

 こうした実績を背景に、40%程度まで低下していたニクソン氏の支持率は60%台を回復。1972年大統領選では民主党のマクガバン氏を一蹴し、再選を果たした。しかし、選挙戦中に発生した民主党本部盗聴事件が「ウォーターゲート・スキャンダル」に発展すると、支持率は20%近くにまで急低下。1974年8月、辞任表明に追い込まれ、2期目途中でホワイトハウスから姿を消した。

写真ウォーターゲート・コンプレックス(ワシントン市内)
(写真)中野 哲也

⑤第38代大統領ジェラルド・R・フォード(共和党、ネブラスカ州出身、在任1974年8月~1977年1月)

写真(出所)ホワイトハウス公式サイト

 ニクソン氏辞任を受け、フォード氏は1974年8月に副大統領から急きょ就任した。米国経済はベトナム戦争の後遺症が深刻化。1930年代以来の大不況に陥り、失業率は一時9%を突破して第二次大戦後最悪の水準に。就任早々、現職の米大統領として初来日を果たし、田中角栄首相との日米首脳会談に臨んだ。

 フォード氏は1976年大統領選で2期目を目指したが、失業率は8%近辺で高止まりし、支持率も50%を割り込んで低迷。その結果、ワシントン政界では無名に近い民主党のカーター・ジョージア州知事に接戦の末敗れた。

⑥第39代大統領ジミー・カーター(民主党、ジョージア州出身、在任1977年1月~1981年1月)

写真(出所)ホワイトハウス公式サイト

 カーター氏の政治経験はジョージア州知事1期という乏しさ。しかし、逆にそのフレッシュなイメージが、大統領選では支持を集めた。国民はベトナム戦争やウォーターゲート事件などで荒廃した社会の立て直しを、未知数の行政手腕に託したのである。南北戦争後、深南部出身の大統領も初めて。

 就任後のカーター氏は、決して得意ではない外交政策にも精力的に取り組んだ。「人権外交」を旗印に、パナマ運河のパナマへの全面返還に乗り出す。中東和平にも尽力。1978年、エジプトのサダド大統領とイスラエルのベギン首相をキャンプデービッド(米メリーランド州)の大統領山荘に招き、13日間も両首脳を缶詰にして交渉を粘り強く続け、中東和平に向けて妥協案を引き出した。

 しかし1979年11月、イランの首都テヘランで米国大使館が過激派に占拠される事件が発生。カーター氏は米国人人質の救出作戦を敢行するも失敗。大統領の権威が失墜し、在任当初70%を超えていた支持率は一時30%を割り込んだ。第二次石油危機などを背景に、米国経済も低迷を続け、失業率が一時7%を超えた。

 このため、再選を目指した1980年大統領選で、カーター氏は共和党のレーガン氏に惨敗した。ただしカーター氏の場合、大統領退任後に政治的な手腕を発揮した点が目立つ。後のクリントン政権下、北朝鮮核危機に際してピョンヤンを訪れ、米朝枠組み合意の道筋を付けた。2002年にノーベル平和賞を受賞している。


【参考文献・資料】
米ギャラップ社・世論調査結果
米労働省・雇用統計
「アメリカ史(上)」(紀平栄作編、山川出版社)
「アメリカ史(下)」(同)
「大統領でたどるアメリカの歴史」(明石和康 著、岩波書店)
カリフォルニア大学サンタバーバラ校「The American Presidency Project」
ホワイトハウス公式サイト
日米の各種報道など

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芳賀 裕理

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