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「シェール革命」を起こしたミッチェル氏 超常識の発想と強烈な意思で...

2015年04月01日

最先端技術

主任研究員
稲葉 清高

 石油や天然ガスの採掘は従来、次の三つの地層が都合よく下から並んでる場所に限られていた。すなわち、①石油・ガスがつくられる層②石油・ガスが溜まる層③石油・ガスをそれより上に逃がさない層―であり、中東の地下構造はまさしくこうした形になっている。

 ③の「上に逃がさない層」を突き破って穴を開けると、地上に向けて石油・ガスが勢いよく噴出する。これを「在来型」の油・ガス田という。一方、②の「溜まる層」は空隙の多い岩で形成されているのに対し、③の「上に逃がさない層」は空隙の少ない岩、例えば頁岩(けつがん、英語でシェール)などからできている。身近なもので言えば、書道で使う硯(すずり)のような材質だ。

 三層構造は希少だが、石油・ガスを含んだ頁岩のみからなる単層構造は地球上の様々な場所に存在している。中でも米国のペンシルバニア州からテキサス州に広がる「バーネット頁岩層」は厚さ約75mもあり、昔から全体の埋蔵量は相当な規模になると考えられていた。この「宝の山」に目を着け、採算のとれる経済的な手法で石油・ガスの採掘に成功したのが、「バーネットシェールの父」と呼ばれるジョージ・P・ミッチェル(1919~2013年)である。

 ミッチェルは石油産業の盛んなテキサス州のガルベストンで、ギリシャ移民の靴磨きの家に生まれた。テキサスA&M大学へ進み、石油工学を専攻。卒業後、独立系の石油掘削会社を興し、これをフォーチュン500に入る大企業に育て上げた。この会社で彼が新たに掘削した油・ガス井は約1万本といわれる。

 1980年ごろ、ミッチェルは「在来型」だけではガスの供給が難しくなるため、全く別の方法で天然ガスを採掘できないかと考え始める。当時、60才を過ぎ、既に十分な富も得ていたが、ベンチャー精神が衰えることはなかった。

 ミッチェルが着目したのが、先に紹介したバーネット頁岩層なのである。そこではガスが頁岩の間の薄く小さな空洞に点在していた。すなわち、井戸を一本掘っただけでは、ガスの大量噴出は望むべくもない。このため、知人や投資家は「カネをドブに捨てるのか」と呆れたが、ミッチェルは後に「それでも、私はあきらめるなんて考えもしなかった」とインタビューで語っている。 

 当時、ミッチェルにひらめいたのが、水圧破砕法の応用である。これは頁岩層から天然ガスを採り出す技術であり、第一次石油危機後の1976年には米政府主導の研究プロジェクトでも活用されていた。しかし、在来型の油・ガス井用向けの技術と考えられており、横に大きく広がるタイプの頁岩層には不向きというのが「常識」だった。

 そこで、ミッチェルが水圧破砕法に加えて採用したのが、「井戸の水平掘り」という1970年代から本格化していた技術である。元々は海上リグ(石油掘削用の基地)を使わずに、海底油田の石油を陸上から直接掘ることが目的の技術だった。

 水圧破砕法と水平掘りを併用するという、ミッチェルの常識を超えた発想により、目指す地点に高圧の水を送り込み、周りの岩に割れ目を作れるようになった。さらに地中観測技術の進歩が後押しする形で、頁岩層のガスの精密な採掘が実現した。これこそが、「シェール革命」の出発点なのである。

 ミッチェルは頁岩層からガスを採取しようとした最初の人間ではない。水圧破砕法や水平掘りを発明したわけでもない。しかし、常識にとらわれない発想と強烈な意思によって、シェールガス採掘を採算ベースに乗せたのである。シェール革命で米国経済は息を吹き返したが、昨年来の原油安によってシェール関連産業は苦境に陥っている。今、この「革命家」が健在だったら、どんな手を打つだろうか。

稲葉 清高

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※この記事は、2015年4月1日に発行されたHeadlineに掲載されたものを、個別に記事として掲載しています。

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