Main content

真の「おもてなし」には何が必要?

=外国人旅行者に学んだ思いやりの心=

2018年11月06日

社会・生活

企画室
新井 大輔

 平日の午前中、JR東京駅構内である光景を目撃した。外国人男性が年配の女性に話しかけた後、女性の荷物を持って一緒に階段を上っていったのだ。男性はトランクを持っており、観光客だと思われる。階段を上り終えたところで、女性にお辞儀をされたその男性はにこりと微笑み、トランクを片手にさっそうと階段を下りていった。その間、多くのサラリーマンやOLが2人の横を通り過ぎていった。

 筆者は外国人男性の行動に感心すると同時に、ある戸惑いを感じた。おもてなしをすべきわれわれが、逆におもてなしを受けているように見えたからだ。東京五輪・パラリンピックの招致活動で2013年の流行語にもなったフリーアナウンサーの滝川クリステルさんの「お・も・て・な・し」。最近はあまり聞かれなくなったように思うが、ひょっとしたら一過性のブームだったのかもしれない。試しに新聞に登場した「おもてなし」という単語の数について調べてみたところ、2014年をピークに減少傾向になっていた。

新聞に掲載された「おもてなし」の単語数推移

20181106.jpg

(出所)読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞のデータを基に筆者作成。
(注)2018年の件数は、1月~9月の合計件数を9で除し、12を乗じた。

 筆者の生活を振り返ると、平日は混んだ電車に揺られ、仕事にも追われる日々だ。正直自分のことで精一杯で、周囲を配慮している余裕はほとんどない。ほかの方々も似たようなものではないだろうか。こんな状況で、2年後に迫った東京五輪で多くの外国人の方々をお迎えし、おもてなしを実践できるのだろうかと不安を覚える今日この頃だ。

 東京駅での「出来事」からしばらくして、今度は別の場面に遭遇した。筆者がクルマを運転中、横断歩道の前で信号待ちをしていた時のことだ。年配男性が杖を突きながら、ゆっくりと横断歩道を渡り始めた。心配して見ていたら、横断歩道の真ん中付近で信号が点滅し、渡り切る前に赤信号に変わってしまった。筆者の後方や対向車線には数台のクルマが停車中。どうしようと思った矢先、若い男性が年配男性の元に駆け寄った。そして、車に向かって大きく手を振り待つように合図をした後、一緒に横断歩道を渡り終えたのだ。

 しばらくの間、そのシーンが頭から離れなかった。何があの若い男性を突き動かしたのだろうか。「人を助けなければ」という正義感や使命感はもちろんだが、年配の男性を守るようにして歩く若者の姿には、思いやりの気持ちがあふれていた。単にクルマを止めて終わりではなく、相手を思いやる気持ちが加わっての行動なのだろう。

 冒頭で紹介した外国人旅行者の行動も、おもてなしというより思いやりの気持ちからだったように感じる。おもてなしと思いやり。似たような言葉だが、意味合いはやや異なる。心がこもってなくてもおもてなしはできるが、思いやりには常に心がこもっている。大切なのは思いやりの気持ちをもって、「真」のおもてなしをすることだと思う。

 人々がもっと思いやりの気持ちを持てると、より住みやすい社会になるだろう。そうした社会が実現できれば、東京五輪のあるなしにかかわらず、日本を訪れる外国人の方々にも自然体でおもてなしができるのだと思う。こうした気持ちを忘れないようにしたいと心に戒めている。

新井 大輔

TAG:

※本記事・写真の無断複製・転載・引用を禁じます。
※本サイトに掲載された論文・コラムなどの記事の内容や意見は執筆者個人の見解であり、当研究所または(株)リコーの見解を示すものではありません。
※ご意見やご提案は、お問い合わせフォームからお願いいたします。

戻る