Main content

戦国の"転職王"に学ぶ成功の秘訣

=8回主君を変えた藤堂高虎の生き方=

2018年07月06日

社会・生活

企画室
新井 大輔

 この2~3年、筆者の周囲の同僚や友人で転職する人が増えた気がする。社内では転職のあいさつメールや送別会の案内を多く受け取る。社外の友人と久しぶりに飲むといつの間にか仕事を変わっていることがよくある。実際、総務省「労働力調査」によると、国内転職者数は世界金融危機に伴う景気悪化によって2010年には280万人近くまで落ち込んだが、その後は緩やかに増加し、2017年には311万人に上っている。

(出所)総務省「労働力調査」
(注)2011年は補完推計値又は補完推計値を用いて計算した参考値

 もっとも転職先で満足している人は少ないようだ。元同僚や友人たちからは「給料は上がったが、残業が2~3倍になった」「転職後数カ月で異動となり、希望の仕事に就けていない」といった不満の声も。「現状逃避や高条件だけを求めて転職すると苦労する」と後悔の言葉を漏らす人もいた。一見、華々しく見える転職だが現実はそう甘くない。そんな転職談義に花を咲かせた後、筆者が戦国時代に"転職"を繰り返しながら、成功していった藤堂高虎(とうどう・たかとら、1556~1630年)という武将を紹介すると、とても興味を持たれた。

 藤堂高虎は戦国時代から江戸時代初期にかけて生きた武将である。近江(現在の滋賀県)の小豪族の子として生まれ、最初は近江の戦国大名、浅井長政の下に仕えていた。しかし、浅井家が織田信長に滅ぼされてからは浅井家の旧臣や織田信澄(信長の甥)、豊臣秀長(豊臣秀吉の弟)、豊臣秀吉、徳川家康など複数の主君の下を渡り歩きながら、立身出世を遂げた。最後は伊勢津藩32万石の大大名にまで出世した。一説には8回も主君を変えたといわれており、まさに戦国時代の"転職王"だ。高虎は家康の信頼も大変厚かったとされ、藤堂家は外様大名だったにも関わらず譜代大名の井伊家と並び、戦の先鋒を任されるまでになった。

 高虎にはさまざまな史実やエピソードが残されているが、彼の生き方に転職成功の秘訣を探ると、現代にも通じる3つの特長が浮かび上がる。①仕事師であった②高い専門スキルを有した③相手を思いやる心が強かった―である。

 第一の仕事師というのは、戦国の世では戦上手であったということだ。例えば、織田信長亡き後の後継者争いである賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで、高虎は敵方の中心武将を敗走させる抜群の戦功を挙げている。また、慶長の役で水軍を率いた高虎は、ある海戦で朝鮮水軍をせん滅させている。ほかにも高虎の戦上手を伝える話は数多い。高虎は作戦能力を高めるひたむきな努力をしていたようで、戦に敗れて捕虜となった敵将に自軍の戦いぶりへの意見を求めるなど、複数のエピソードも残されている。

 第二の高い専門スキルとは、築城術のことである。高虎は黒田官兵衛、加藤清正と並ぶ戦国の3大築城名人といわれた。高虎が築城、あるいは築城に関わったとされる城は聚楽第や伏見城、宇和島城、今治城、江戸城、二条城など枚挙にいとまがない。徳川家の天下普請のほとんどに携わったともいわれている。高虎の築城は石垣を高く積み上げる技術に特徴があるとされる。高虎の出身地である近江には、甲良大工という伝統的な宮大工や石工衆という石積み技術者などの技術者集団がおり、ここに着目した高虎は彼らを配下に収めることで築城術を磨いていったのだ。

20180706.jpg高虎が縄張りを担当した江戸城
(写真)筆者

 第三の相手に対する思いやりについてはこんなエピソードがある。2代将軍の徳川秀忠が二条城改築を高虎に命じた。わざわざ2枚の設計図を作った高虎に対して、家臣がその理由を訊ねたところ高虎はこう言った。「2枚の設計図はどちらかを秀忠様に選んでいただくためだ。もし1枚しか作らなかったら二条城の設計はこの高虎が行ったと世間はみなす。それでは秀忠様の立場がなくなる。主君に仕えるにはそうした心構えや主君を常に敬う気持ちが必要である」

 また、こんなエピソードも残されている。徳川家康が豊臣秀吉に臣下の礼をとるため、京都に上洛することになった。家康の京都滞在中の屋敷を新築するよう命じられた高虎は、秀吉から渡された設計図とは全く違う屋敷を建てた。そのことを詰問した家康に対して、高虎はこう答えたと言う。「渡された設計図は公家屋敷の平和な造りとなっており、敵から襲われることを念頭に置いていない。京都は平穏を保っているが、いつ不測の事態が起こるとも限らない。そうなれば関白殿下の面目に関わる。そのため独断で厳重な造りの設計図に変更した」。「追加の建築費用はどうしたのか」とさらに問いただす家康に対して、「自分が負担した」と答える高虎。この一件で家康は高虎を強く信頼するようになったという。

 藤堂高虎の生き方は転職を望んでいる人々にとって実に多くの示唆を与えてくれる。だがそれだけではない。転職を望んでいない人々にとっても、職場環境や競争環境が劇的に変わる今の時代において、学ぶべきところが少なくないのではないだろうか。忙しい現代を生きるわれわれは、普段、過去を振り返ることがあまりないと思う。だが、過去の歴史には多くの先人達が試行錯誤の末に生み出した知恵が凝縮されている。転職に限らず新しいことにチャレンジしていくとき、現在や未来だけを見るのではなく、こうした先人達の生き方にヒントを探ることの大切さを改めて感じている。


(参考文献)
・童門冬二『二番手を生ききる哲学―信念の武将・藤堂高虎が身をもって示したもの』(青春出版社)
・福井健二『築城の名手 藤堂高虎 (図説日本の城郭シリーズ4) 』(戎光祥出版)
・『津藩祖 藤堂高虎』(津市Webサイト)

新井 大輔

TAG:

※本記事・写真の無断複製・転載・引用を禁じます。
※本サイトに掲載された論文・コラムなどの記事の内容や意見は執筆者個人の見解であり、当研究所または(株)リコーの見解を示すものではありません。
※ご意見やご提案は、お問い合わせフォームからお願いいたします。

戻る