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真冬の清流で命が宿る「鯉のぼり」

=400年超の歴史、岐阜県・郡上八幡「寒ざらし」=

2018年04月23日

社会・生活

企画室
竹内 典子

 端午の節句が近づくと、都心のマンションのベランダでは、鯉のぼりが窮屈そうに泳ぎだす。「屋根より高い鯉のぼり...」も今は昔。逆にコンパクト化が進み、室内に飾るタイプも増えている。こうした中、豊かな水に恵まれて発展した城下町の郡上八幡(ぐじょうはちまん=岐阜県郡上市)では、400年超の歴史を誇る伝統技術によって鯉のぼりが作られている。その代表的な紺屋である渡辺染物店の15代目・渡辺一吉さんに御協力をいただき、真冬の風物詩「寒ざらし」を取材した。

 名古屋から電車を乗り継いで約2時間―。岐阜県の中央に位置する郡上八幡に到着した。訪問した今年1月末、雪がちらつく街は静まり返っていた。四方を山に囲まれ、街の中心を長良川支流の吉田川が流れる。郡上八幡城の下で発展した市街地には、底まで透き通った水路が張りめぐらされ、岩魚(いわな)や鯉が優雅に泳いでいる。

20180423.jpg 渡辺染物店の創業は、織田信長が活躍した1570年代にさかのぼるという。現在は岐阜県下で唯一、郡上本染(ぐじょうほんぞめ)といわれる伝統技術を受け継ぎ、一吉さんの父・渡辺庄吉さんの代に「岐阜県重要無形文化財」に指定された(1977年)。「藍染」「カチン染め」という2つの技法を持ち、後者を使って鯉のぼりのデザインから製作、販売まで一貫して行う。

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20180423_02.jpg渡辺染物店の15代目渡辺一吉さん

 鯉のぼりの起源は定かではない。元々、武家では端午の節句に家紋の入った旗指物や幟(のぼり)を玄関前に立てて祝っていた。江戸中期に入ると、町人の間でも鯉の滝登りなどを描いた幟を掲げるようになったという。中国には黄河の急流の滝(=竜門)を登りきった鯉は竜になり、天に昇るという伝説(=登竜門)がある。このため、親が男の子の立身出世を鯉に願い、それが立体化されて風になびき、鯉のぼりの原型「吹き流し」が生まれたとされる。

 郡上八幡では、大豆のしぼり汁を使う「カチン染め」が古くから鯉のぼり作りに応用されていた。江戸時代最末期の1866年、渡辺染物店の12代目となる男の子が誕生した時、木綿布に顔料で色付けしながら鯉のぼりを作ったと伝えられる。ある研究者からは、「木綿の鯉のぼりとしては最も古いものの一つだろう」と言われたそうだ。

 渡辺染物店では、鯉のぼりが出来上がるまでに通常一カ月程度を要する。その工程は、①木綿の布を釜で煮た後、竹枠に結び付ける。②この無地の布の上にもち糊を使って鯉のぼりの輪郭を描いて乾燥させる。③大豆のしぼり汁に顔料を加え、刷毛で色(黒・青・赤・黄)を付ける。④色むらを防ぐため、着色と乾燥を繰り返す。⑤もち糊を清流で洗い落とす。⑥別々に染め上げた「半身」同士を縫い合わせ、竹の輪を口に入れると、ようやく一匹の鯉のぼりが出来上がる―という順になる。

 このうち、⑤の糊を洗い落とす作業が「鯉のぼりの寒ざらし」と呼ばれるものだ。江戸時代からの伝統作業だが、1970年からは真冬の大寒に一般公開されており、郡上八幡の冬の風物詩として人気を博している。今年の大寒の1月20日、吉田川の支流である小駄良川を訪れると、底の石まで透けて見える清流に、見事に染め上げられた鯉のぼり9匹分の布地が用意されていた。

 この日は平年より暖かいとはいえ、気温8度で水温5度。防水用のサロペット(=胸当て付き防水ズボン)を身に着け、渡辺さんを先頭に10人ぐらいの職人集団が冷たい川に入っていく。ひざ上まで水に浸かり中腰になりながら、大きなお玉のようなもので布の表面の糊を削り取る。前日の晩から布地を川面に浮かべておき、糊がふやけて落としやすくしている。

 その後、刷毛を巧みに使いながら、生地の目に入った糊も丁寧に落としていく。刷毛を動かすたびに水しぶきが上がり、キラキラと輝く。糊が取れ始めると突然、鱗(うろこ)の輪郭に当たる真っ白な線が浮かび上がった。まるで手品を見ているようだ。

 高級一眼レフカメラを首から提げたアマチュアカメラマンが一斉にシャッターを切り、「カシャ、カシャ、カシャ...」―。60代の女性は「カメラ同好会の仲間と一緒に、朝5時に新潟を出発してきました。どうしても一目見たくて...」 ―。川の中で作業中の渡辺さんに声を掛けると、「普段は店の前を流れる水路で鯉のぼりを晒すのですが、こうして広い川で作業すると気分が良くてやりやすい」と笑顔で寒さを吹き飛ばした。真冬の冷たい清流で洗うからこそ、布が引き締まり、鮮やかな色彩を実現できるそうだ。

20180423_03.jpg「寒ざらし」作業中の渡辺さん

 渡辺さんは「鯉のぼりの伝統の色を守るためには、職人の技術と道具がとても大切です」という。例えば、もち糊を入れる筒袋。和紙を円錐形にして筒にし、その先端に真鍮(しんちゅう)の口金を付けてもち糊をしぼり出す。ビニール製の筒袋では手の密着感が違うため、思うような線が描けない。筒袋や真鍮の口金は年々手に入りにくくなっているが、その代替品はなかなか見つからない。染色に使う刷毛も昔から鹿の毛を使っているが、化繊では微妙な染色が難しい。

 鯉のぼりの口に使う円形の竹には、空中遊泳に耐えられる強度が求められる。竹細工の熟練職人しかコシの強い竹を真ん丸にできないが、これも後継者の確保が難しくなった。今は、少なくなった地元の後継者のほか、森林や木材の分野で活躍する人材を育てる「岐阜県立森林文化アカデミー」の卒業生に協力してもらい、何とかやりくりしている。

 取材の最後、渡辺さんに鯉のぼりに懸ける思いをうかがった。「郡上本染の鯉のぼりの配色は黒・青・赤・黄・白がはっきりしており、遠くから眺めても、よその鯉との違いがすぐ分かる。昔ながらの技術で個性的な鯉を作り続けてきたから、これから先もずっとこのスタイルを伝えていきたい。お子さんを大切に思う家族の気持ちはいつの時代も変わらず、それにこたえていくのが使命だと思う」―

(写真)筆者 PENTAX K-50


竹内 典子

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※この記事は、2018年3月30日発行のHeadLineに掲載されました。

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