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通勤電車で読む新聞は世界の記者からの手紙

=日々の習慣が仕事モードへの切り替えに=

2018年03月13日

社会・生活

企画室長
小長 高明

 「今日は1人、昨日も1人、そういえば一昨日は3人もいたな...」―

 筆者は通勤電車に乗ったら新聞をひと通り眺めるのを日課にしている。時代が変わり、スマートフォンを見ている人がほとんどであり、車内で新聞を広げる人はまず私だけだ。3人もいれば、「今日は何かいつもと違う。良いことがあるのではないか」と思うほど珍しい光景となってしまった。だが、なぜか前向きな気持ちになる。

 新聞を広げることは20年以上も続けてきた私のルーティンワークである。あの大リーグのイチロー選手やラグビーの五郎丸選手といった一流選手は、プレイ前のルーティンを持っている。私の場合、通勤時に自らの気持ちを高揚させ、仕事モードに切り替えるスイッチとして、新聞と向きあうことにしている。気分が乗らない日もあるし、二日酔いの日もある。会社に行きたくないという気分も、新聞に目を通していくうちに、不思議とやる気が湧いてくる。

 やがてすべてのページをざっと目を通し終わった頃、電車が上野駅に到着したことに気づく。混雑していた車内から乗客がパッと吐き出されるため、集中力も途切れるのだろう。上野駅を出発すると、車窓からはNHKの大河ドラマで取り上げられている西郷隆盛の像が目に入ってくる。なんとなく眺めてしまうのもほぼ日課となっている。

 西郷隆盛は、謎の多い人物のようだ。維新の英雄なのに、写真1枚も本物と確認されるものは残っておらず、肖像画も様々である。銅像に至っては、西郷夫人が「こんな人ではない」と腰を抜かしたという逸話すらある。名前の隆盛も父親と同じ名だそうだ。

 そんな西郷が意図したわけではないだろうが、西南戦争は日本のジャーナリズムを誕生させたきっかけとなったそうだ。記者が現地に足を運び、確かめた事実を報道する、事実報道の始まりともいわれる。

 通勤時に上野駅で読み終わる新聞は、私にとって世界中の記者から届いた手紙のようなものだ。嬉しいニュースも悲しいニュースも含めて、日々刻々と変化する話題を紙で毎朝、事実を知らせてくれる。紙の良いところは一覧性にあるけれど、それに加えて手触りがほんのりと温かいところがとてもいい。それが自分の気持ちを和らげたり、前向きにしたりする効果もあるのだろう。

 紙から電子になっていく時代の中で、何が残り何が変わっていくのだろうかと考えることもある。情報を収集する、伝達する、複写する、保存する、検索するなどの行為は、果たして人の行動として変わらないままだろうか...。

 今年は明治維新から150年。2019年には平成から新しい元号になる。新しい時代に向かって、人々の価値観が変わるときに、自分はどう関わっていて、どのような貢献ができるのだろうか。西郷隆盛は幕末にどんなことを感じ、どんな行動を取ったのだろうか。電車の中で様々な思いをめぐらせながら、丸の内にあるオフィスに到着する。

 いつも通りに仕事を始め、仕事に疲れると20階からの景色を眺望することにしている。都心の姿の変化を見ながら、日々積み上げられていく変化の先に、どんな未来が待っているのだろうか。残すべきものは何か、変えるべきものは何か。不易流行を考えながら、明日もまた新聞を広げているだろう。

リコー経済社会研究所(丸の内)から日本橋方面を撮影

20180312_01.jpg2016年12月

20180312_02.jpg 2018年現在

(写真)筆者

小長 高明

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