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活字苦境でも「個性」を磨いて勝負する

=世界に誇るアルゼンチンと京都の書店を探訪=

2017年12月06日

社会・生活

客員主任研究員
田中 博

 一歩足を踏み入れると思わず息をのむ―。南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスにある書店「エル・アテネオ・グラン・スプレンディド」の店内は、100年前にタイムスリップしたかのような豪華絢爛(けんらん)の世界が広がっていた。

 それもそのはずだ。この建物は1919年にオペラ劇場としてオープン、国民的なタンゴ歌手が舞台に立つなど、アルゼンチンの文化振興の一翼を担ってきた。地下1から地上3階まで吹き抜けの広大な空間が広がり、天井にはフレスコ画が描かれている。後に映画館に改築されるなどしたが閉鎖され、2000年に大手書店グループが取得、大規模な改装を経て豪華書店に生まれ変わった。

書店とは思えない豪華な内装が目に飛び込む

20171206_01.jpg(写真:筆者)

 本のラインアップ自体は「大型のほかの書店とあまり変わらない」(長くアルゼンチンに暮らす日本人)というが、何よりも違うのはカメラ片手に店内あちこちで撮影をする人が目立つ点だ。それも老若男女問わず、見るからに世界のさまざまな国から訪れているのがうかがえる。

 この書店が世界に知られるきっかけは、2008年に英紙「ガーディアン」のランキングで「世界で2番目に美しい書店」と紹介されたことだ。ソーシャルメディアの浸透などによってあっという間に情報が共有されると、多くの観光客が足を運ぶようになった。来店客数は年間100万人ともいわれている。ちなみに世界一は、オランダのマーストリヒトにある「セレクシス・ドミニカネン」で、13世紀に建てられたドミニコ派の教会を改装した神秘的な美しさが特長だ。

 単に誘客を誇るだけでなく、エル・アテネオには店内に長く滞在してもらうための仕掛けがある。元々舞台があったところがカフェになっており、飲み物や軽食などが提供されているのだ。私もコーヒー片手にボーっとしながらかつてのオペラ観客席に思いを馳せてみた。周囲を見渡すと、おしゃべりや読書の合間に店内をじっと見回したり、天井を見上げたり、写真を撮ったりと、みなそれぞれゆったりとした時間を楽しんでいるのがうかがえた。

天井にはフレスコ画が広がっている

20171206_02.jpg(写真:筆者)

 日本でも最近、こうしたカフェ併設の書店は増えている。販売している本や雑誌の持ち込みも可能にするなど、長く滞在してもらおうという狙いは共通のようだ。本自体が売れなくても、飲食の収入で補っていこうという考えもあるのだろう。

 しかし、出版物市場全体に目を向けると、相変わらず活字不況が続いていることに変わりはない。出版科学研究所によると日本の2016年の出版物(書籍・雑誌合計)の推定販売金額は前年同期比3.4%減の1兆4709億円で12年連続のマイナスになった。書店数も日本著者販促センターによると2017年5月現在、1万2500店であり、この10年で4分の3に減った計算だ。

 消費の形態の主役が「モノ」から「コト」に移ったと言われるようになって久しいが、書店で言えば、来店や滞在自体をイベントにしたり、本を買うという行為の前にじっくり選んだり、思わぬ出合いがあったりといった「コト」があれば財布のひもを緩めるチャンスは広がるはずだ。エル・アテネオみたいな圧倒的なハードがあれば別だが、併設カフェでは目玉にはなりにくい。

 そうした視点で見ると、先述の「ガーディアン」のランキングで日本で唯一9位に入った、京都市の「恵文社一乗寺店」の取り組みは目を引く。こちらの店も訪ねてみたが、エル・アテネオの派手さとは全く違って、どこか懐かしさを覚えるようなシックなたたずまいが印象的。ランキングに取り上げられて以来、海外からの観光客が増えたという。

落ち着いたたたずまいが時の経つのを忘れさせてくれる

20171206_04.jpg(提供:恵文社)

 同店もカフェを併設し、雑貨やギャラリーのコーナーはあるが、最大の売りは棚の構成力といってよいだろう。「本にまつわるあれこれのセレクトショップ」を標榜(ひょうぼう)しているだけに、スタッフが考え抜いて本を配置している。何でも揃う大型チェーンとはひと味違って、新たな発見があって面白いと評判だ。1時間ぐらい滞在するお客はざらだという。

 同店書店部門マネージャーの鎌田裕樹さんは「ジャンル別、著者別に棚が明確に分かれていないため、分かりにくいと言われることもある。だが、時間をかけて見てもらうことで、長い滞在につながっているのではないか」と分析する。ただし、プレッシャーも半端ではない。「本当に本が好きな方、われわれよりも本に詳しい方がたくさん訪れる。その方々をがっかりさせたらいけないし、書店の先輩が築き上げたものを壊してはいけないという思いで棚をつくっている」と打ち明ける。

 店内を歩いてみると、例えば名優オードリー・ヘップバーンの写真集の横に『不思議の国のアリス』の絵本があり、さらに隣には黒柳徹子さんの『トットチャンネル』があったりと、一見不思議な並びになっているが、ついつい手に取ってみたくなる"魔力"がある。外観というハードに引かれて来店してみたら、棚つまりソフトのほうが面白かったという人が多いのもうなずける。

夜になると住宅街の中に特徴的な外観が浮かび上がる

20171206_03.jpg(提供:恵文社)

 洋の東西は違えども、アルゼンチンと京都でじっくりと滞在できる店舗が世界のトップランクに入っているのは非常に興味深い。日本でも個性的な品揃えで勝負する店が増えてきているが、こうして切磋琢磨(せっさたくま)することで少しでも活字文化の活況につながってほしい―。と、活字好きの一人として切に願っている。

田中 博

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