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「未来は食から」女性3人が那須で起業 

昨夏3回!気絶して倒れるまで・・・

2017年04月10日

社会・生活

企画室
竹内 典子

 栃木県の最北端にある那須町は、東京から東北新幹線で約70分。那須塩原駅で降りると、冷たいけど新鮮な空気と那須高原の雪景色が出迎えてくれた。ここを拠点に、都会を脱出した女性3人が農業ベンチャー「アロハファーム」を起業。自然を最大限に尊重しながら、コメや野菜をつくる循環型の農業に挑み、味噌や甘酒、黒ニンニクなどの発酵食品づくりに汗を流す。

 アロハファーム代表の長久保恵理さんは東京で生まれ、横浜や埼玉県草加市で育つ。20代は出版社に勤めながら、休日はサーフィンを楽しむ活動的なOLだった。その後、放浪の旅を経て草加に戻り、生活用品は何でも揃うバラエティショップの運営に携わる。才覚を認められ、やがて経営を任されるようになった。

  1999年、長久保さんに転機が訪れた。都会で生まれ育ったのに土いじりが好きだったから、「自分で家を建てて畑をやりたい」と周囲に夢を語っていた。それを聞きつけた那須在住の知人が土地を融通してくれ、長久保さんの夢は実現する。週末になると草加から那須に通い、自分で家を建てて畑を耕し始めた。バラエティショップの同僚の横川砂輝さんが顔を出し、家屋のペンキ塗りや畑の耕作を手伝うようになった。

 もちろん、二人とも野菜づくりは素人。しかし、庭いじりをしていると、通りすがりの農家の人が親切に野菜の育て方を教えてくれ、わずか3カ月で大きな白菜を収穫できた。やがて、長久保さんは「こんなに新鮮な那須の野菜を都会の家庭でも味わってもらいたい」と思い立つ。近隣農家から採りたての野菜を仕入れ、草加のバラエティショップで販売すると、あっという間に完売。「農家が丹精込めて作った野菜ならば、必ずお客様に思いが伝わることを実感した」という。

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アロハファームの長久保恵理さん、横川砂輝さん、小宮静香さん(左から)

 そして二回目の転機となったのが、2011年3月11日に発生した東日本大震災。那須にも被災者が押し寄せていると聞き、長久保さんはすぐに行動を起こす。緊急通行車両を確保し、経営していたバラエティショップやそのお客様の協力を得て、ありったけの救援物資を積み込み、東北自動車道をひた走った。「大震災が私の心も強烈に揺さぶり、とにかく前へ進まなければとしか考えられなかった。困っている人を見ると、昔からパワーがあふれてきちゃうんです」―。炊き出しの先頭に立って奮闘していると、那須の人々とのつながりが深まり、絆も生まれていった。

  ところが、事態はさらに深刻になる。原発事故に伴う風評被害によって、那須の野菜が全く売れなくなったのだ。農業を一から教えてくれた農家が絶望し、途方に暮れる姿を見て、長久保さんは「那須を全力で応援しなくちゃ、農業一本でやっていく!」と決意を新たにした。草加のバラエティショップを閉め、生活の拠点も那須へ移す。長久保さんと横川さんに、那須で救援活動を一緒にやってきた小宮静香さんが加わり、3人で2013年にアロハファームを起業した。

 一年中早朝から夜まで、農作業に追われる生活は想像以上に厳しい。3人は「一日が終わると、気絶して倒れ込むぐらい疲れてしまう」と笑うが、「安全・安心で美味しいものをお客様に届けたい」という一心から手を緩めない。どれだけ生命力の豊かな野菜をお客様に提供できるかがテーマ。作物ごとに最適な土の成分を考え、土づくりの実験を行う。コメづくりは、化学肥料はもちろん除草剤も使わないため、草刈りだけでも大変な重労働。昨夏、長久保さんは3回も倒れたそうだ。

 取材で訪れた今年2月初め、ビニールハウスでは、手塩にかけた春菊や小松菜、ホウレン草がすくすくと育ち、濃い緑色の葉は見ただけで食欲をそそられる。

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青々と育つホウレン草

 また、アロハファームは日本の伝統的な発酵食品の製造にも取り組んでいる。コメや大豆を自らつくり、味噌や甘酒の加工も人任せにしない。そして販売までを、たった3人でこなすのだ。長久保さんは「医食同源」(=病気を治す薬と食べ物は本来、根源を同じくする。食事に注意することが病気を予防する最善の策である)を信じ、「農業を通じて、未来は食にあることを伝えていきたい」という。

 アロハファームは実店舗を持たないため、インターネット販売が主体。最近は都内で週末だけ開かれるファーマーズ・マーケットなどに出向いては、対面で販売も行う。地道な努力が実を結び、熱い思いに賛同した「アロハ・ファン」が徐々に増えてきた。「美味しい野菜を食べて元気が出たよ」「甘酒は苦手だったけど、ここのは口当たりが抜群。おかげでおなかの調子が良いの」―。全国から寄せられるお客様の声が、長久保さんたち3人のやる気を引き出す。

 味噌づくりに初挑戦 ハンバーグとの共通点が...

  今回、アロハファームが「味噌づくりの会」を初めて開催し、筆者を含めて女性9人が参加した。材料は、味噌づくりに最適な香り高くコクがある大豆「里のほほえみ」15kgと、玄米生麹(なまこうじ)20kg、それに長久保さんが産地にこだわるネパール産ヒマラヤの岩塩7.5kg。一般的に味噌は同量の大豆と麹でつくるが、長久保さんは麹を多くして旨味が増す「贅沢味噌」を教えている。

  前日までの下準備として、長久保さんらは大豆をよく洗って2日間水に漬けてふやかし、3時間程煮ていた。それによって約3倍の大きさに膨らんだ大豆を潰すところから、実習はスタートした。まず、鍋から大豆をザルに上げ、味噌切り機と呼ばれるバケツのような容器に移す。そのハンドルを回すと、大豆が次々に潰されて挽き肉のように出てくる。また、ハンドルを回すには意外に力が必要で息が切れる。

 潰した大豆は大きなプラスチック製バットに広げて混ぜながら、人肌まで冷ます。次に、玄米生麹と岩塩を振り掛けて、丁寧に満遍なく混ぜあわせていくのがポイントだ。

 良く混ざったら、ハンバーグをつくる時のように空気を抜きながら、野球ボール大に生地を丸める。そして熟成用の樽の中に、そのボールを一つひとつ勢い良く投げつけていく。余計な空気を抜くためには勢いが大事らしい。「ドスッ」「ドスッ」という大きな音が響き渡り、参加者からは「ストレス発散になるね」と笑いが起こる。

  大豆ボールが投げつけられる都度、両手で生地を平らで滑らかにする。それが完了したら、カビ防止用に岩塩を多めに振り掛ける。最後にビニール袋でふたをし、漬物石を樽の上に載せる。この重しによって味噌に圧力が掛かり、熟成が進むそうだ。このまま8カ月ほどゆっくり寝かせれば、今秋には一人6kgの「手前味噌」ができあがるはずだ。

  参加者が懸命に味噌を仕込む姿を見ながら、長久保さんは「これをきっかけに食材や農業に関心を深めてもらえたら」と話す。今後は都会の人に農業を体験してもらう企画のほか、那須の目玉になるような「特産物」を地元の人と一緒に考えていきたいという。さらに、「自分たちの思いを受け継いでくれる仲間を増やすため、研修生も募集したい」―。那須から発信される「筋書きのない物語」から、目が離せない。

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「味噌づくりの会」の参加者

アロハファーム(ネット通販) https://shop.arekore.co/aloha_farm/

(写真)岩下 祐子 PENTAX  K-50など

竹内 典子

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※この記事は、2017年3月27日に発行されたHeadLineに掲載されました。執筆者の所属および肩書きは、当時のものです。

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