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もうすぐ春ですね...高校野球を観ませんか=「5打席連続敬遠」を乗り越えたスラッガー=

【企画室】 Vol.10

2017年02月27日

社会・生活

企画室長
小長 高明

 甲子園球場―。それは全国の高校球児16万人の聖地である。今春の選抜高校野球大会は3月19~30日の日程で開かれ、全国約4000校の中から選ばれた32校の野球部員の夢が実現する。

 高校時代、私も野球部に所属し、補欠ではあったが、甲子園を目指した。今は一高校野球ファンとして、春も夏もテレビの前でクギ付けになる。球児のひた向きなプレーを見ては涙を流し、「負ければ終わり」という試合の連続で緊張感がみなぎる。緩んでいた気が引き締まり、それが明日の仕事の糧にもなる。

 社会人となり、兵庫県尼崎市に住んでいた時には、甲子園球場までよく足を運んだものだ。忘れもしない思い出は、1992年8月の星稜高校vs明徳義塾高校。星稜のスラッガー・松井秀喜に対し、明徳が「5打席連続敬遠」という秘策を繰り出して勝利を収めた試合である。

 松井の豪快なホームランが見たくて、星稜の応援団が陣取る3塁側アルプススタンドで観戦していた。ところが、松井は勝負されることなく、星稜ナインは涙でグランドを濡らして甲子園を後にした。

 私も悔しかった。ホームランどころか、松井は一度もバットを振っていないからだ。きっと甲子園に出るために毎日毎日何千、いや何万回もバットを振ってきただろうに...。と考えると更に悔しくなり、涙をこらえきれなかった。

 後に出された著書によると、松井は敬遠よりも、チームの敗戦が悔しかったという。甲子園でホームランを打つことより、全国制覇という夢をチームで実現したかったのである。野球は団体スポーツ。他の選手も応援団も同じ夢を見ていたからこそ、どんなに厳しい練習にも耐えることができたのだろう。

 5打席連続敬遠によって、松井は一段と注目される存在になり、高校卒業後は日本のプロ野球で大活躍。本塁打王や打点王を獲得し、「勝負してはいけないバッター」であることを証明し続けた。

 ところが、松井の子供の頃からの本当の夢は、米国の大リーグでプレーすることだったという。日本で活躍し続けるか、あるいは夢の実現に向けて新たなチャレンジをするか―。相当迷ったらしいが、結局、彼は子供の頃からの夢への挑戦を選択した。

 大リーグ入り後、決して順風満帆ではなく、ケガには何度も泣かされた。だが、決して夢をあきらめない。何度も何度も訪れる試練を乗り越え、ついに2009年のワールドシリーズでニューヨーク・ヤンキースを世界一に導き、自身はMVP(最高殊勲選手)に輝いた。子供の頃に思い描いた夢が、実現した瞬間であったに違いない。

 何度ケガをしても、なぜ松井は常に前向きでいられたのか。それは、再び前の状態に戻るのではなく、「前よりも強くなって戻るんだ」という強い気持ちを持ち続けていたからだそうだ。

 実は、松井が汗を流した星稜高校グランドの1塁側ベンチなどには、

  心が変われば行動が変わる
  行動が変われば習慣が変わる
  習慣が変われば人格が変わる
  人格が変われば運命が変わる


と掲げられていたという。常に前向きでいられたのは、この言葉に支えられていたからだと松井は著書の中で明かしている。

 今、不確実性の高まる時代の中で、我々は何を夢見て、それを実現するために何を変えていくべきなのか。現状に安住して周りだけが変わっていく、あるいは周囲の変化に合わせていくだけでは到底、夢を実現することはできない。

 不確実で不透明な時代だからこそ、一人ひとりが実現したい夢をしっかり描く必要があるはず。まずは些細なことからでも、変えていく勇気を持ちたい。そして、どんな時でも前向きでいる気持ちを忘れないようにしたい。今年もまた甲子園の季節が近づいてきた。「5打席連続敬遠」という、ほろ苦い思い出とともに...

20170221konaga_650.jpg高校球児の聖地(兵庫県・阪神甲子園球場) ※一部修正



(参考文献)「不動心」松井秀喜著(新潮新書)、「信念を貫く」松井秀喜著(新潮新書)


(写真)筆者

小長 高明

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