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憲法施行70年とマッカーサーの執務室

潜望鏡 第14回

2017年03月27日

社会・生活

HeadLine 編集長
中野 哲也

 今年5月3日、日本国憲法は1947年の施行から70周年を迎える。戦後、日本はその三大原則(国民主権、基本的人権の尊重、平和主義)を守りながら、欧米並みの民主化や国際社会への復帰を果たし、焼け野原からの奇跡的な復興と高度成長を成し遂げた。

 その一方で、敗戦国日本を占領していた連合国軍総司令部(GHQ)が憲法を起草したことから、「押し付け憲法」という批判も高まる。安倍晋三首相は先の自民党大会で「自民党は憲法改正の発議に向けて具体的な議論をリードしていく。それが自民党の歴史的使命だ」と強調、憲法改正に改めて決意を示した。

 この憲法を骨格とする戦後日本の「設計図」は、一人の軍人がコーンパイプをくわえながら決定したものだ。GHQ総司令官ダグラス・マッカーサーその人であり、彼が愛用した執務室は今なお東京・有楽町の一角で完璧に保存されている。一般には非公開だが、所有する第一生命保険から御協力をいただいて取材した。

 1945年8月15日の終戦を受け、マッカーサーは日本で占領政策を展開する。当時の東京で最新鋭のオフィスビルに目を付け、一週間後には接収した。1938年に完成していた旧第一生命館(現DNタワー21)である。膨大な量の鉄骨と鉄筋、それに花崗岩が注ぎ込まれ、国会議事堂と並んで戦前日本建築史上の「大作」とされる。皇居の真正面に位置するため、戦時中は陸軍が高射砲を構えて「砦」としていた(参考文献=清水建設編「DNタワー21」丸善)。

 マッカーサーの執務室は約54㎡。内装は意外なほど質素であり、目立つ調度品は趣味としていたヨットの絵画ぐらい。「何事も即断即決」という彼のモットーを反映し、執務机には引き出しが無い。

 この執務室に漂う空気には独特の重みを感じる。象徴天皇制、財閥解体、男女同権、教育の民主化、労働者の権利確立、農地解放...。ここで戦後日本の「形」に関するアイデアが続々と生まれ、次々に実行に移されていく。憲法の草案もこの旧第一生命館で作成された。執務室が言葉を発することができるなら、かけがえのない「歴史の証人」になったに違いない。

「即断即決」引き出しの無い執務机

マッカーサーの胸像

 その後、マッカーサーは朝鮮戦争への核兵器使用を提案し、トルーマン米大統領と対立して総司令官の職を解任される。

 解任後の1951年、マッカーサーは連邦議会で証言に立ち、「(米英の)アングロサクソンが45歳に成熟しているのと比較すれば、日本人は12歳の少年のようなものだ」と指摘した。

 英語では13歳からがティーンエイジャーとなる。当時の日本の民度は、それに及ばないというわけだ。ただ、日本人に対する侮辱というより、極めて困難な占領政策を遂行した力量を自賛したかったのかもしれないが...

 もし今、マッカーサーがこの世によみがえったとしたら、現代の日本を何歳だと言うのだろう。そして、「(メキシコ国境との間に)巨大な壁を建設する」という大統領を選んだ米国民は何歳に見えるのだろうか。



(リンク先)第一生命保険株式会社(http://www.dai-ichi-life.co.jp/

(写真)小笹 泰 PENTAX K-50

中野 哲也

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