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瀬戸内海が育んだ「箱庭」的都市/尾道市(広島県)

コンパクトシティが地方を救う (第15回)

2018年07月10日

地域再生

HeadLine 編集長
中野 哲也

 西日本豪雨により、被害を受けられた皆様に心よりお見舞い申し上げます。

 はこにわ【箱庭】浅い箱に土砂を入れ、家・橋などの模型を置いたり小さい木を植えたりして、山水の景色や庭園をかたどったもの。(岩波国語辞典)

 海、山、川、線路、駅、道路、バス停、港、家屋、商店街、繁華街、学校、工場、寺社...。こうした街に必要な要素がぎゅっと詰め込まれた「箱庭」には、子供から大人までを魅了する不思議な力がある。それは何でも揃っているという安心感なのか。その一方で、将来の変化を予兆する緊張感も...。箱庭が突然目の前に出現したら、どんなにか楽しいだろう。そんな子供の頃からの夢をかなえてくれる街が瀬戸内海で見つかった。尾道市(広島県)である。

20180708_01a.jpg 尾道の市街地からロープウェイに乗り、空中散歩も束の間、およそ3分で千光寺山の頂上に着いた。そして眼下に広がる大河...。いや、そうではない。それは市街地と対岸の向島(むかいしま)を隔てる、れっきとした海峡「尾道水道」なのだ。その幅はわずか200メートル程度。今年4月、逃走中の受刑者が向島から泳いで本州側に渡り、全国から関心を集めた。

20180708_02.jpg中世からの箱庭的都市、対岸が向島

20180708_03.jpg尾道市街地と向島を結ぶ渡船

 千光寺(創建806年)には1200年を超える歴史があり、鮮やかな朱塗りの本堂は風格が漂う。そこから坂道を下ると、室町幕府第二代将軍・足利義詮の建立(1367年)とされる天寧寺。その三重塔(国指定重要文化財)から尾道大橋を望む「箱庭」も絶景である。

20180708_04.jpg千光寺本堂から向島

20180708_05.jpg天寧寺から尾道大橋

 市街地の東部にある浄土寺は聖徳太子の開基(616年)と伝えられ、足利尊氏が必勝を祈願したという古刹。朱塗りの多宝塔や本堂は国宝に指定されている 。

20180708_06.jpg浄土寺・多宝塔

20180708_07.jpg浄土寺・本堂

 太平洋戦争中も尾道は戦火を免れたため、立派な門構えの古寺が今も多数健在である。この街は天然の良港に恵まれ、12世紀に第一期黄金時代を迎える。江戸時代には北前船の寄港地となり、白壁の蔵が立ち並んで商人の街として繁栄した。それが第二期黄金時代。巨万の富を得た豪商たちが、競い合うように寺に寄進したというわけだ。

 西國寺(開山729年)は古来「西国一の寺」と称賛されてきた名刹。まずは仁王門に奉納されている2メートルの大草鞋(わらじ)が出迎えてくれる。「坂の街」を歩く旅行者が健脚を祈願し、仁王門をくぐって108の石段を上ると、荘厳な三重塔(国指定重要文化財)がそびえ立つ。

20180708_08.jpg西國寺 ・仁王門の大草鞋

20180708_09.jpg金剛院・カラス天狗

20180708_10.jpg西國寺・三重塔

 尾道の市街地には平地が非常に少ないため、コンパクトシティにならざるを得ない。海と山の間の斜面に民家や寺社がへばり付き、狭い路地が点と点を結んでいる。ただし、路地の主役は必ずしも人間ではない。そう、尾道はネコの街でもあるのだ。

20180708_11.jpg坂の街と路地

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20180708_13.jpg坂の難工事、尾道市立大のバイト学生が活躍

20180708_14.jpg「ネコの街」としても知られる

 尾道水道に面した海沿いの平地では、商都として栄えた証(あかし)が随所で見つかる。旧住友銀行尾道支店として1904年に造られた建物は、激動の近代史を今に伝える。住友家が本拠地としていた別子銅山(愛媛県新居浜市)は瀬戸内海の対岸。1895年、大阪の住友本店と別子銅山の重役たちが尾道に集まり、銀行業への参入を決定したという。

20180708_15.jpg旧住友銀行尾道支店

 このほか、現在の広島銀行の前身の一つである旧尾道銀行本店(現おのみち歴史博物館)や旧尾道商業会議所など、レトロモダンな建造物が実に丁寧に保存されている。中心部の商店街では後継者不足などでシャッターが徐々に閉められているが、見事に再生した店舗も少なくない。市民気質が開放的なせいか、市外から移住してお洒落なショップを経営する人も目立つ。

20180708_16.jpg旧尾道銀行本店(現おのみち歴史博物館)

20180708_17.jpg旧尾道商業会議所

20180708_18.jpg20180708_19.jpg20180708_20.jpg中心部の商店街では店舗再生も進行中

 この街は歩いているだけで楽しい。絵になるスポットが数えきれないほどあり、独特の情景が映画監督の心を鷲づかみにしてきた。小津安二郎や新藤兼人、山田洋次らの巨匠がこの街を舞台に数々の名作を生みだしている。

 だが何と言っても、尾道を映画の街として有名にしたのは地元出身の大林宣彦監督。同氏が撮った尾道三部作(「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」)と新尾道三部作(「ふたり」「あした」「あの、夏の日」)のロケ地は、市街地の至る所で見つかる。おのみち映画資料館によると、1929~2014年に劇場公開された映画のうち、実に46本が尾道市内でロケが行われたという。

20180708_21.jpgおのみち映画資料館

 この街に魅了された文豪も少なくない。林芙美子(1903~1951年)は幼少期から高等女学校卒業まで尾道で過ごし、代表作「放浪記」の中で、林は「海が見えた。海が見える。5年ぶりに見る尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように...」と、街の美しさを情景豊かに表現している。

20180708_22.jpg林芙美子像

 志賀直哉(1883~1971年)は1912年に一時、東京から尾道・千光寺山の中腹に移り住み、「暗夜行路」の構想をまとめ上げた。志賀はこの名作の中で街の情景を「景色はいいところだった。寝転んでいていろいろな物が見えた。前の島に造船所がある。そこで朝からカーンカーンと...」と愛情たっぷりに描写している。その中で「三軒の小さな棟割長屋の一番奥」と記された尾道時代の旧居は丁寧に保存されており、文豪の視線で「箱庭」を味わうことができる。

20180708_23.jpg志賀直哉旧居

20180708_24.jpg

 海と山の幸に恵まれた尾道はグルメの街でもあり、最近はブタの背脂が特徴的な「尾道ラーメン」が全国ブランドになった。

 100年以上前の志賀の好物は、瀬戸内海の新鮮な魚から作られる蒲鉾だった。「暗夜行路」に登場する、志賀が世話になった「隣の親切な婆さん」が小林マツさん。その孫の村上桂造さんが「桂馬蒲鉾商店」を1913年に創業し、店は今も伝統の味を守り続けている。

20180708_25.jpg尾道ラーメン・瀬戸内の地魚は絶品(鮨と魚料理「保広」)

20180708_26.jpg創業105年「桂馬蒲鉾商店」・高級スイーツのような蒲鉾

 2代目の村上隆さん(92)に取材すると、父の桂造さんは文学好きで志賀の旧居をたびたび訪問。志賀が東京に帰ってからも、桂三さんは汽車で上京して蒲鉾を届けていた。志賀はたいそう喜んで写真や書籍を贈ったという。

 「ほかの店では作れないものを作れ!」―。桂造さんの教えを守り、隆さんは朝4時起きで魚をさばいた。高級スイーツのように美しくて甘みのある蒲鉾を作り続けた。経営は3代目に譲ったが、英国紳士のような出で立ちで元気いっぱい。若い頃は相撲で体を鍛え上げ、今でも相撲甚句を大きな声で歌い上げる。長寿の秘訣を尋ねると、「腹八分目で酒・タバコはやらないことだね。でも、お饅頭とか甘いものはいいんだよ」―。店頭では、孫のひかるさんが看板娘。隆さんは嬉しくて仕方ないという表情で撮影に応じてくれた。

20180708_27.jpg2代目の村上隆さんと孫のひかるさん

 ほかにも尾道では、シニアが生き生きと活躍していた。今回の取材でお世話になった、尾道市シルバー人材センター観光ガイドの二人も、古希を過ぎたとは思えない若々しさである。坂道もどんどん上っていくから、50歳代の筆者が置いてきぼりにされてしまう。

 このうち、岡田隆史さんは天文台で長年勤務した後、定年後に地元の歴史を学んで観光ガイドに。街の隅から隅まで知り尽くし、「生き字引」的な存在である。「ある面では京都や奈良に負けない、尾道の神社仏閣の素晴らしさを観光のお客様に知ってほしいんです」と話す。一方、中林美津子さんは若い頃に神奈川県内でバスガイドの経験があり、「観光ガイドの仕事が楽しくて仕方ありません」と素敵な笑みを絶やさない。

20180708_28.jpgシルバー観光ガイドの岡田隆史さんと中林美津子さん

 シニア人材が活躍する背景には、尾道市の政策努力がある。「住みなれた地域で元気でいきいきと安心して暮らせるまち」を目指し、「おのみち幸齢プロジェクト」を推進しているのだ。「高齢」ではなく「幸齢」?平谷祐宏市長(65)に取材すると、「『高齢』という言葉にはマイナスのイメージがあるじゃないですか。歳を重ねるごとに幸せを感じられる『幸齢社会』を実現したいのです」―

 これは単なる市のスローガンではない。例えば、①幸齢者学校(地域全体を支えあうコミュニティモデルのネットワーク構築を図り、地域力を高めるための研修・講演会)②シルバーリハビリ体操(指導士を養成して地域で介護予防の体操)③お役立ち情報誌「出たもん勝ち」(地域とのつながりや生きがいの発見を促す)―といったユニークな施策を幾つも展開し、高齢者の生きがいづくりや介護予防に積極的に取り組んでいるのだ。中でもシルバーリハビリ体操は台湾に伝えられ、平谷市長が現地で講演すると、「日本の小さな港町が高齢者の楽園をつくっている」と高く評価されたという。

20180708_29.jpg尾道市の平谷祐宏市長

 平谷市長は尾道をサイクリストの聖地としてもアピールしてきた。今治市(愛媛県)まで約70キロの「しまなみ海道」では、瀬戸内海に浮かぶ島々を巡りながら、サイクリングを満喫できる。JR尾道駅近くには、各種サービスを提供する複合施設「ONOMICHI U2」を整備。市長が先頭に立ち、世界最大の自転車メーカー、ジャイアント(台湾)のストアを誘致した。今では連日、海外からも多くのサイクリストがやって来る。

20180708_30.jpg高見山(尾道市・向島)から望む瀬戸内海

20180708_31.jpgしまなみ海道(多々羅大橋)

20180708_32.jpgONOMICHI U2

 尾道市の人口は13.8万人(2018年4月末)にすぎないが、年間700万人に近い観光客が訪れる。「箱庭」のような風景や古代からの神社仏閣といったキラーコンテンツに恵まれるだけではない。市民や行政が最も大切なもの=住みやすさ=を守るために、常に変化を追求してきたからだろう。この「不易流行」こそ、人口減少時代で生き残りを目指す地方都市に求められる哲学だと思う。

20180708_33.jpg世界中からサイクリストが集結

(写真)筆者 PENTAX K-S2

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※この記事は、2018年6月29日発行のHeadLineに掲載されました。

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