Main content

ものづくり中小企業の振興とその未来

=西の産業集積地・大阪にみる官民の取り組み=

2017年07月10日

地域再生

研究員
可児 竜太

 人口減少に伴う内需の伸び悩みや新興国の追撃を受け、日本のものづくりが危機にさらされていると言われて久しい。このうち大企業はコスト削減のため海外に生産を移管し、生き残りに必死だ。国内では、ロジスティクスの発達によって産業の地域集積にかつてほどの価値がなくなる一方で、工業地帯の宅地化が工場と地域住民との間に摩擦を引き起こす。このため、日本のものづくりを担ってきた中小企業や町工場は多くの難題に直面している。

 こうした中、産業集積地では官民が一体となって中小企業の再生に取り組み始めた。町工場の集積地の代表である東京・大田区。同区の製造事業者数は、最盛期の約9000から6割超も減り、約3500まで激減した。だが、「仲間まわし」と呼ばれる独自の企業間ネットワークを復活させ、ものづくりの町として生き残りを図ろうとしている。

大田区内の製造業の事業者数(工場)

20170630_01.jpg(出所)大田区「大田区における製造業事業者数の動態」

 一方で、関西の代表的なものづくりの集積地が大阪府である。都道府県別の製造業の事業所数は大阪が全国トップの約3.6万カ所を誇り、東京都の約3.5万カ所を上回る。製造業の従業者数で見ると、自動車産業が盛んな愛知県(約80万人)には及ばないものの、大阪府は全国2位の約49万人。中小企業に限れば、大阪府の製造品出荷額は全国2位の10.3兆円に達し、トップの愛知県(11.9兆円)に肩を並べる。

 大阪のものづくりの歴史は長い。既に8世紀頃には河内地方に職人集団「河内鋳物師(かわちいもじ)」が定住し、金属の鋳造で日本全国に名を馳せていた。奈良や鎌倉の大仏の鋳造にも参画したと伝えられており、中世の梵鐘(ぼんしょう)の8割以上が「河内産」とされる。

 現在も大阪では、活力ある中小製造企業群が知られており、特定分野で高い世界シェアを誇る「グローバルニッチトップ」企業も少なくない。企業間連携の取り組みも先進的であり、2009年には東大阪市の中小企業群が製作に携わった小型人工衛星「まいど1号」が打ち上げられた。これは、大阪のものづくりの力強さの象徴として全国的に話題になった。

20170630_02.jpg

まいど1号模型

 どうして大阪の中小企業はものづくりの活力を維持できるのか。官民の取り組みを調査するため、現地を取材した。

 大阪と言えば「商人の街」というイメージが強い。大阪市内の御堂筋にはオフィスビルが立ち並び、「キタ」と呼ばれる北部の梅田駅周辺では百貨店や地下街に買い物・観光客が群がる。昭和の香りを残していた南部の天王寺駅付近も再開発が進み、商業ビルでは日本一の高さ(300メートル)を誇る「あべのハルカス」がランドマークである。

20170630_03.jpgあべのハルカス

 大阪市の中心街から地下鉄に乗り、20分ほどで東大阪市に着く。市役所の付近を歩くと、頭上で近畿自動車道と阪神高速道路が交差し、トラックが激しく往来している。物流の大動脈を実感する。

20170630_04.jpg「物流の大動脈」が走る東大阪市内

 独立行政法人中小企業基盤整備機構が管理・運営する「クリエイション・コア東大阪」 に入居する「ものづくりビジネスセンター大阪(MOBIO)」を訪ねた。大阪府などが運営する、府内ものづくり中小企業の総合支援拠点である。MOBIOで中小企業支援に携わる、府商工労働部中小企業支援室ものづくり支援課製造業振興グループの鈴木洋輔主査(取材当時)を取材した。

20170630_05.jpg大阪府の鈴木洋輔主査(取材当時)

 鈴木氏によると、大阪の製造業には、東京都の情報通信機器、愛知県の輸送機械といった突出した産業はないが、歴史的にも強みを持ってきた産業があるという。

 まず、大阪は明治時代に官営模範工場が設置されるなど繊維産業が盛んで、大阪市内や大阪湾岸の泉州地域に繊維工業が集積している。また、化学工業は繊維工業と並んで大阪を代表する製造業の一つである。化学工業には医薬品製造業が含まれるが、大阪は伝統的に医薬品製造に強く、現在も規模の大小を問わず製薬企業の本社が集積している。

 さらに、この二つの産業と並んで、金属製品製造業と一般・精密機械器具製造業の高密度な集積が大阪市とその周辺市に広範囲に見られる。このほか、電気機械器具製造業が大阪市内と隣接する門真市や守口市、八尾市に集積している。門真市西部から守口市にかけての地域は大手メーカー本社などの立地によるものという。

 そして、大阪市の真東に位置するのが、今回取材した東大阪市域。ここには多様な加工技術を持つ6000社を超える企業群がある。

 東大阪市東部の奈良県生駒市との県境には生駒山があり、東大阪側は急峻な斜面。明治時代に当地の急流を活用し、水車を動力とする伸線業が発達した。主に線材を加工して鉄線などを製造する産業であり、それをさらに加工してネジなどの鋲螺(びょうら)の製造も始まった。

 大正初期に私鉄が大阪市と奈良市の間に開通し、沿線一帯に電力の供給が始まった。動力源はこれまでの水車から電動機に代わり、安定した生産活動が可能となった。中小企業も電気を使用できるようになり、東大阪地域へ工場が集積する環境が整った。

 そして、多様な産業が集積する契機となったのは、第二次世界大戦だった。戦時中、大阪市内の大阪城周辺には、大阪砲兵工廠(ほうへいこうしょう)があった。当時、これは東洋一の軍需工場。主に火砲の開発・製造を担い、特に金属加工に優れ、その技術は日本最高水準と称された。しかし、戦争末期には米軍の空襲の標的となり、工廠は壊滅する。大阪市内の空襲被害もあり、戦後の東大阪では工場が一層集積した。

歯ブラシからロケットまで...

 大阪のものづくり集積地の特徴は、産業の多様性である。東京は情報通信機械や業務用機械、愛知は輸送用機械(自動車)といった産業に特徴がある。これに対し、大阪には金属製品や機械類から石油・化学製品、プラスチックに至るまで、実に様々な産業がある。いわゆるフルセット型の産業集積であり、「歯ブラシからロケットまで」と呼ばれる所以である。

 このため、大阪の中小企業は大企業の力を借りなくても、多種多様な製品開発が可能だ。MOBIOの製品展示コーナーにも、中小企業の意欲的なアイディアを盛り込んだ商品が並んでいた。

 中でも、MOBIOが毎年認証する「大阪製」というブランド製品には、特に目を奪われる。これは、府内のものづくり中小企業が技術力と創造力を発揮して開発した消費財に与えられる認証である。「大阪のものづくり」というイメージの対外発信強化と、中小企業の製品開発を促進する狙いがある。

 例えば2016年度は、「電子基板を樹脂加工したスマホケース」(A)、「コイルスプリングの線香立て」(B)、「アルミ製壁掛けスマホホルダー」(C)、「オーガニックのトリートメントシャンプー」(D)―などが認証を受けた。

20170630_07.jpg2016年度「大阪製」認定品の例 (提供)MOBIO

 スマホケースは電子基板上のLEDが通信電波に反応して光る。線香立ては金型製作に使うコイルスプリングをオブジェのようにアレンジしている。いずれもエッジの利いたアイディアにあふれており、どれも購買意欲をそそられる。実際、大手百貨店のバイヤーから引き合いがあったり、雑誌で紹介されたりするなど、ブランド力向上に貢献しているという。

 東京・大田区のような金属加工が主体の産業集積地では、最終製品のアイディアは限られてしまいがちだ。大阪のように幅広い産業が集積していれば、その組み合わせから生み出される製品の可能性は無限と言ってもよいのかもしれない。

中小企業に「出会いの場」を提供

 しかし鈴木氏によれば、行政の振興政策面では多様な産業があるからこその難しさもあるようだ。例えば、金属加工に特化している産業集積地ならば、「金属加工業に対する補助金」のような行政からすればシンプル、企業や市民側からも分かりやすい施策がとれる。だが大阪では、特定の産業にターゲットを絞り込んだ施策は容易でない。

 そこでMOBIOでは、ものづくり中小企業の「変革と挑戦」に向けた「知る、やる、集まる」を支援することとした。府内の企業間で情報共有を促進し、中小企業で不足しがちな情報収集や営業力を補っていこうという戦略だ。

 例えば「MOOV,press」というフリーペーパー。府内のものづくり中小企業の中で「変革と挑戦」を実践するリーダーを見つけ出して取材し、紹介するという職員手作りの情報誌である。もちろん中小企業のベストプラクティスを広く紹介することが目的だが、職員が中小企業に対する理解を深め、支援手法を考える機会にもなっているという。

 また、「MOBIO-Cafe」という中小企業向けセミナーを年間約100回も開催している。重要なのは、セミナー終了後に必ず企業同士の交流会を開き、「出会いの場」を提供していること。企業と企業の「マッチング」に特に気を配り、新たなコラボレーションが生まれることを期待するわけだ。そして中小企業発の「大阪ブランド」をさらに開発していこうと努力しているという。

 このように大阪府では、層の厚いものづくり企業の集積を活かしたイノベーション創出などに力を入れて取り組んでいる。

鍛冶職人の伝統技術を受け継ぐ

 次に、大阪市の南に隣接し電車で30分ほどの堺市を訪問した。府内では大阪市に次ぐ都市であり、人口84万人の政令指定都市。旧石器時代から人が定住し、古墳時代には日本の中心地として栄えた。堺市役所の展望フロアからは、「大仙陵古墳」を望むことができる。この世界最大級の墳墓には、仁徳天皇が埋葬されていると伝えられる。

20170630_08.jpg世界最大級の大仙陵古墳

 当地の産業集積について、堺市産業振興局商工労働部ものづくり支援課の西浦伸雄課長補佐を取材した。

20170630_09.jpg

堺市の西浦伸雄課長補佐

 歴史の長い土地柄だけに、堺のものづくりはやはり伝統工芸品に特徴がある。例えば、寺社仏閣が多かったために、線香や注染(染料を注いで染める製法)などの職人産業が名高い。

 刃物や鉄砲の鍛冶職人の存在も極めて重要だった。高度な技術から生み出される包丁や日本刀は各地で取引された。特にタバコ包丁はその鋭い切れ味から、江戸幕府が「堺極(さかいきわめ)」と銘打ち、全国にその名を知らしめた。

 堺市は自転車の部品製作の技術力が高く、国内外の自転車競技で知られる有力企業が立地する。これも実は、鉄砲などの鍛冶職人にさかのぼることができる。明治時代に海外から自転車が輸入されるようになり、その修理を担ったのが堺の鍛冶職人だったのである。

 もちろん、堺の産業は伝統工芸品だけではない。むしろ、機械製造業や金属加工業を中心とした一大工業地帯ともいえる。製造品の出荷額をみると、政令指定都市のランキングでは全国8位の3.5兆円。従業員一人当たりでは全国1位の411万円であり、二位の川崎市(289万円)を大きく引き離す。

20170630_10.jpg堺市大阪湾岸の臨海コンビナート

 これは、大阪湾の沿岸部に重厚長大型の大企業が集中し、臨海コンビナートを形成しているためだ。比較的規模の大きい中小企業が立地していることもある。そしてここでも、自転車部品製造で磨かれた「金属の切削や曲げ加工」といった技術が活きているのだという。

 東大阪や東京・大田と比較すると、堺の中小企業の特徴は一社当たりの従業員数が多いことだ。

 「一人親方」で事業を営む零細企業は後継者が見つからず、「引退=廃業」となりがちである。東京・大田はその典型例であり、「一人親方」の数が多いため、冒頭で紹介したように事業者数が急減してしまった。一方、堺でも事業者数の減少は起きているものの、規模の大きな事業者が多いため、そのペースは比較的緩やかだ。

 しかし、規模の大きな企業ならではの課題もある。最も深刻なのは人材の確保だ。堺は大阪市中心部に近いため、大企業志向の強い人材は堺市外に職を求めがちだ。このため、研究開発に力を入れたくとも、堺の中小企業にはなかなか大卒の人材が来てくれないという。

 また、住宅地の拡大も悩みの種だ。部品を大量生産している工場が多いため、必然的に稼働時間が長くなり、騒音も大きくなる。再開発によって住宅と工場との混在が進み、「住工近接」の問題も増える。住民との軋轢に耐えかね、近隣の自治体が開発中の工業用地へ移転を検討している中小企業もある。さらに隣県からも企業に移転を打診する激しい「営業攻勢」が掛かっているという。

IoT化「再チャレンジ」も視野に

 今後、堺市は中小企業に対する振興策をどのように展開していくのか。西浦氏に尋ねると、伝統工芸品と大規模な製造加工業を分けて考える必要があるという。まず、前者については「海外への展開を強化していきたい」と語る。特に包丁だ。これまでの官民の努力もあり、徐々に「堺の包丁」は海外でもネームバリューが高まっている。米ニューヨークなどでは日本の名産品として浸透しはじめた。

 実際、筆者がニューヨークに在住していた2015年頃、現地では日本食への関心とともに、和包丁の人気も高まっていた。マンハッタン・ブロードウェイ沿いの高級キッチン用品店には、高価な和包丁の一大コーナーが設けられており、何人もの米国人が真剣に見入っていたのが印象的だった。

 しかし、和包丁はメンテナンスフリーのステンレス包丁と違い、錆びやすいという短所がある。外国人が何も知らずに錆びさせてしまえば、「高いわりに使い物にならない」と批判され、ブームは一過性で終わるかもしれない。そこで堺市では、和包丁の適切な取り扱い方も含めて情報発信を強化し、「堺の包丁」のブランド価値をさらに高めていきたいという。

 次に、堺の産業の中核となる製造加工業については、やはり人材不足への対応が喫緊の課題である。そこで労働力を補うために、西浦氏は「ITを駆使することで、生産効率向上を後押ししていけないか」と考えている。

 実は、10年ほど前にICタグを利用して工場と工場を結び生産効率化を図る、今でいうIoT(モノのインターネット)のような取り組みに官民で挑戦したのだという。ネットワークで繋がった各工場の稼働状況を把握しながら、工場同士で生産を融通し合う仕組みである。しかし、当時はICタグのコストが高く、システムも想定通りにはうまく機能しなかった。このため、工場からは「電話で連絡をとった方が早い」と指摘され、残念ながら成功しなかった。

 しかし、近年はIoTデバイスやセンサー、通信技術が急速に発達し、コストも低下したため、工場のIT化がやり易くなった。このため、西浦氏は「かつてうまくいかなかった工場の生産性向上も実現できるのではないか」とIoTへの再チャレンジを視野に入れる。

 町工場のIT化推進については、前述したMOBIOの鈴木氏も興味深い課題を指摘していた。大阪府としても、中小企業の産業振興を図るため、IoTやAI(人工知能)といった「第四次産業革命」の動きを踏まえた支援が必要だと考えている。しかし、中小企業の工場向けにIoTの導入を試みても、大阪ではそれを実装できるシステムエンジニアをなかなか確保できないという。

中小企業の二代目、三代目社長の頑張り

 最後に西浦氏は「個人的な見解ですが」と前置きしながら、堺の中小企業と付き合う中で得た洞察を教えてくれた。それは、「二代目、三代目社長が頑張っている企業が元気に見えます」ということだ。

 西浦氏は「30代、40代の跡継ぎは文系出身だったり、理系でも父親とは少し違う道を歩んだりしながら、技術への考え方や捉え方が親と異なっています」と指摘する。その上で、「親が創り上げてきた技術をどうやって活用していくか、というセンスを持っている人たちが増えてきている気がします」と語る。

 例えば、ある金属加工事業所では、父親からなかなか理解を得られなくても、息子が部品を展示会に出しては数百枚の名刺を集めてくる。その上で、難しい仕事を積極的に受注し、従業員の技術水準を高め、会社を成長させているという。

 後日、堺の中小企業を取材してみると、まさにその典型に出会うことができた。例えば、二代目経営者がSNSを活用して企業間の輪を広げ、3DプリンターやVR(仮想現実)の導入を積極的にアピールし、企業価値の向上に繋げようとしている。必ずしも周囲から賛同を得られなくても、それを押し切ってなお貪欲に新たな技術を取り込み、企業経営に活かそうと挑戦を続けているのだ。

 このように、「中小企業の産業集積」と一口に言っても、その成り立ちや抱える課題は地域によって異なる。こうした中、行政の後押しの下、民間企業が活力を維持して成長を続ける、たくましい姿を大阪で見ることができた。各社は企業同士の連携や先端技術の活用を通じ、新たな価値を生み出そうと必死に取り組む。自らを律して不断の変革に挑まない限り、生き残ることはできない。大阪の中小企業群はそう訴えていた。

20170630_11.jpg有限会社藤川樹脂(堺市)の成形加工工場

 

(写真)筆者 PENTAX K-S2

可児 竜太

TAG:

※本記事・写真の無断複製・転載・引用を禁じます。
※本サイトに掲載された論文・コラムなどの記事の内容や意見は執筆者個人の見解であり、当研究所または(株)リコーの見解を示すものではありません。
※ご意見やご提案は、お問い合わせフォームからお願いいたします。

戻る