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「海の京都」で公共交通の空白解消/京丹後市(京都府)

コンパクトシティが地方を救う (第9回)

2017年01月13日

地域再生

HeadLine 編集長
中野 哲也

 JR京都駅から特急に2時間ほど乗ると、日本三景の一つに数えられる天橋立。ここ丹後半島は近年、「海の京都」として注目を集めている。さらに西に進むと、日本海に臨む京丹後市(京都府)に入る。峰山、大宮、網野、丹後、弥栄、久美浜の6町が「平成の大合併」で一緒になり、2004年4月に市制が施行された。総面積は501平方キロに達し、東京・山手線の内側の約8個分に相当する。旧6町がコンパクトな街づくりを進めながら、京丹後市は6つの個性を公共交通でネットワーク化したい考えだ。

  しかし長年にわたり過疎化が進み、人口は約5.7万人まで減少。高齢者の比率が非常に高く、移動手段の確保が年々難しくなっている。このため行政と市民が一体になり、「ささえ合い」をキーワードに公共交通の空白地を解消しようと懸命に取り組んでいる。

20160116_1地図2.png

20170116-2天橋立.jpg

日本三景の天橋立(京都府宮津市)

日本海沿いに絶景が連続する「間人」(たいざ)

 「間人」と書いて「たいざ」と読む。京丹後市丹後町にある小さな集落だが、歴史のロマンが漂い、日本海沿いの海岸線には風光明媚なスポットが幾つもある。言い伝えによると、聖徳太子の母である間人(はしうど)皇后が一時この地に身を寄せ、「はしうど」を地名として授けた。しかし、地元の人々は恐れ多いため、皇后が当地から「退座」した後、間人を「たいざ」と読むようになったという。

  海岸には間人皇后・聖徳太子の母子像が造られ、その前に高さ20メートルに達する立岩(たていわ)がそびえる。島のような安山岩の巨岩。伝説では鬼が封じ込められており、日本海の荒波がぶつかると号泣する鬼の声が...。この海岸線には「屏風岩」や「丹後松島」といった名勝もあり、絶景が連続するドライブコースになっている。冬場、間人港で水揚げされる松葉ガニは「間人ガニ」と呼ばれ、1匹数万円もする高級食材として知られる。

20170116-3立岩.jpg立岩

20170116-4屏風岩.jpg屏風岩

20170116-5母子像.jpg間人皇后と聖徳太子の母子像

20160116_6カニ.png間人ガニ

 このように間人を中心とする丹後町は、歴史と自然が織り成す魅力にあふれる。だが、少子高齢化の荒波から逃れることはできない。同町の人口は広域合併前の約7100人から、2016年4月には約5600人まで減少。この間に65歳以上の高齢化率は30.5%から40.0%へ上昇し、京丹後市全体の34.2%を大きく上回る。一日十数本の路線バスはあるものの、幹線道路が主体である。支線道路の沿線でクルマの運転ができない人は「交通難民」になってしまう。人口が減ると民間交通機関の採算がとれないという悪循環に陥り、2008年には丹後町で唯一のタクシー会社営業所も撤退してしまい、「タクシー空白地」となった。

 京丹後市は危機感を強め、2014年にNPO法人「気張る!ふるさと丹後町」に委託する形で「市営デマンドバス」の運行を始めた。2路線でそれぞれ隔日10人乗りの車両を運行し、運賃は上限200円に抑えた。NPO法人との協働による京都府下で初のデマンドバスは住民に喜ばれる一方で、幾つかの問題点も浮き彫りになった。例えば、運行が隔日の上、乗車には前日午後5時までの予約が必要であり、路線バスに比べると利便性で劣る。だが運行本数を増やしたくても、NPO法人はバス運転手を確保できない。

 このためデマンドバスを導入しても、公共交通の空白地(自宅から最寄りの駅あるいはバス停まで500メートル以上離れている地域)はなかなか解消できない。京丹後市企画政策課公共交通係長の野木秀康さんは「クルマを運転できる80歳過ぎのおじいさんが善意から、近所に住む90歳のおばあさんを病院まで送り届けている。その姿を見て、『何とかしてあげたい』というNPO法人の熱い想いに触れ、行政として出来る支援をしたいと思いました」と話す。

「ウーバー」アプリ導入で「ささえ合い交通」

 そこで野木さんが制度面でアドバイスを行い、市役所OBでNPO法人専務理事の東和彦さんがマイカーを保有するボランティアドライバーを確保した上で、そのドライバーと移動したい住民をマッチングさせる「ささえ合い交通」の検討が始まった。マッチングには、米国で急成長中の配車サービス会社Uber(ウーバー)のスマートフォン用アプリを導入することにした。ウーバーの配車システムを自家用有償旅客運送に活用するのは、日本で初めての試みである。

20170116-7野木さん、東さん.jpg「ささえあい交通」で使われるマイカーと野木さん(左)、東さん(右) *一部修正あり

 NPO法人が運行主体となり、国土交通大臣から道路運送法に基づく自家用有償旅客運送の登録を受け、2016年5月26日に「ささえ合い交通」がスタートした。運行管理者の東さんは安全運転を確保するために、各ドライバーの体調や車両の整備状況をキメ細かくチェックする。登録ドライバーは18人(うち女性4人)で平均年齢62歳。利用時間は毎日午前8時~午後8時である。

  運賃は最初の1.5キロまで480円。その後は1キロ毎に120円加算だから、通常のタクシーの半額程度である。東京海上日動火災保険の協力により、通常の車両保険(対人・対物無制限補償)に加えて、二次的保険が提供された。その結果、ドライバーがお年寄りを車両に誘導する際に発生した事故などもカバーされるという。

  筆者も「ささえ合い」に乗車するため、ウーバーのアプリをスマホにダウンロード。クレジットカード番号の入力が必要だが、予想以上に簡単に登録できた。アプリは45カ国語に対応しており、もちろん訪日外国人が観光目的で乗ってもかまわない。間人のレストランからスマホで配車を依頼すると、程なくワゴン車が現れた。赤い統一ジャケットを着ているから、一目で「ささえ合い」のドライバーだと分かる。

 当日のドライバーは地元出身の岡本昌明さん(69)。大阪で仕事をしていたが、今は故郷でこのボランティアに携わり、「人の役に立っているという実感があるし、色々な人との出会いが楽しいですね」と笑顔を浮かべる。途中、撮影するために数カ所で停車してもらいながら、丹後町から隣りの網野町まで約1時間乗車。運賃は3071円で領収書がすぐにメールで届いた。クレジットカード決済だから、ドライバーとの間で現金のやり取りは全く無い。

Uber領収書.PNG

スマホが無くても「代理サポーター」が配車依頼 

  「ささえ合い」は地域住民と行政、NPO法人などの熱い思いを乗せて走り始めた。だが、牽引役の東さんは決して満足しておらず、「行きはヨイヨイ、帰りはコワイを何とかしたいのですが...」と悔しそうな表情を見せる。現行のルールでは、丹後町で乗車した利用客は京丹後市全域で降車できるが、帰りは丹後町外から乗車できないからだ。

  このように既得権が絡む規制が立ちはだかるものの、「ささえ合い」は着実に前進している。昨年10月には、お年寄りの視点に立ってサービス改善に踏み切った。スマホやクレジットカードを持っていない人に代わり、配車依頼をしてくれる「代理サポーター制度」を導入したのだ。利用者は①代理サポーターに電話をかける②氏名や配車場所、電話番号を伝える③「ささえ合い」に乗車する④3日以内に代理サポーターに現金で支払う―という手順を踏めばよい。

 過疎地域における路線バスの運行を維持するために、全国的に行政が財政支援を行なっている。こうした中、京丹後市は市内運賃の上限を200円に抑制。「700円×2人」ではなく「200円×7人」に発想を逆転し、年間利用者数を17.3万人から39.8万人に拡大した。また、丹後町と同じくタクシー空白地となった網野、久美浜両町には、電気自動車(EV)を使った乗り合いタクシー(初乗り運賃500円/人)を導入した。また、唯一の鉄道である京都丹後鉄道も、高齢者や高校生にとって欠かせない足になっている。

20170116-10路線バス2.jpg路線バスの市内運賃は上限200円

20170116-11京都丹後鉄道.jpgローカル色豊かな京都丹後鉄道

 こうした施策の着実な実施により、京丹後市は公共交通空白地の人口を6町合併前の1万1800人から、2024年には100人まで減らそうとしている。三崎政直市長にインタビューすると、「ウーバー方式の前途にハードルがあるのは事実だが、何とかクリアしていきたい」と述べ、「ささえ合い」を維持する考えを示した。

  また、三崎市長は運賃上限200円バスについても、「高齢者はバス停まで歩いていくのが厳しい。だから、主要道路という幹だけでなく枝葉までバスを走らせないと、住んでいただけなくなる。空気を運ぶぐらいなら、運賃を安くして少しでも多くの人に乗ってもらいたい」という。さらに、「都市部の若い人がクルマを持たなくなった。せめて30分に1本ぐらいの頻度の公共交通を整えないと、移住者が来なくなるのではないか」と述べ、公共交通を整備する理由として都会の若者のクルマ離れも挙げる。

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京丹後市の三崎政直市長

松本清張が愛した木津温泉の宿

  元々、京丹後市のある京都府北部は高級絹織物「丹後ちりめん」の産地として奈良時代から栄えていた。戦後の最盛期は、「ガチャマン」(織機が「ガチャ」と音を鳴らすたび、1「万」円を稼ぐ)と呼ばれるぐらい繁盛していた。ところが着物文化の急速な衰退とともに、生産量はピーク時の数%にまで激減した。それでも、生き残った業者は歯を食いしばって伝統を守り続ける。網野町にある田勇機業を取材すると、三代目の田茂井勇人社長が「丹後ちりめんはパリ・コレクションにも出品されています。これからは海外市場の開拓が楽しみです」と目を輝かせながら、各工程を丁寧に説明してくれた。

20160116_13田勇.png創業85年の田勇機業(左)、ちりめん1反に繭(まゆ)約3000個(右)

 このほか網野町には、日本海がオレンジ色に染まる「夕日ヶ浦海岸」などの絶景スポットもある。京都府下最古の温泉である木津温泉では半世紀前、松本清張が「ゑびすや」に2カ月投宿して名作「Dの複合」を書上げたという。この文豪が滞在した部屋と書斎は当時のまま見事なまでに保存され、全国から清張ファンが見学にやって来る。女将の蛭子智子さんは「大正時代の建築ですから、補修する時は京都市内から宮大工を呼ばなくてはなりません。維持は楽ではありませんが、清張先生のファンのためにも頑張ります」―

20170116-14夕日が浦海岸.jpg夕日ヶ浦海岸

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松本清張が愛した「ゑびすや」

 市役所のある峰山町では、日本で唯一という狛猫(こまねこ)や日本一短いアーケードを見つけた。また、京丹後市は海の幸だけでなく、農産物も豊かだ。特に米の美味しさは格別であり、「丹後コシヒカリ」は食味ランキングで最高評価「特A」を西日本最多の12回獲得している(日本穀物検定協会)。街並みに派手さはないが、歩いているとほっとする。ここでは戦後日本の原風景のようなシーンに何度も出会えるからかもしれない。

20170116-16狛猫.jpg金刀比羅神社の「狛猫」

20170116-17アーケード.jpg日本一短いアーケード「御旅市場」(約52メートル)

20160116_18海鮮丼.png

(写真) 筆者 PENTAX K-S2 使用

中野 哲也

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