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未知に挑む

【所長室から】 Vol.6

2017年04月03日

所長の眼

所長
神津 多可思

 春は別れと出会いの季節だ。寒い冬が終わり、花が咲き始めると、学校でも職場でも様々な区切りを迎える。そういう新年度の初めは、自分が今どこに立っているのか、改めて考えてみる良い機会でもある。

 日本を見渡すと、高齢化や人口減少が進む中で、貨幣価値で測った所得の格差は地域間で拡大し、さらに同じ地域内でも拡がる傾向にある。世界との関係でも、新たな情報通信の技術革新は海外で生まれているし、他方、これまで日本が得意であった製造業では新興国に追い上げられている。

 このように否定的な材料は幾つもあり、これらを連ねれば悲観論を説くのは簡単だ。加えて、今日では社会的なネットワークサービスが張り巡らされており、実名であれ匿名であれ、不安心理に訴える論陣を声高に張るのも極めて容易だ。

 紀元前5世紀、古代ギリシャのアテネにおいても、現代の民主主義とはかなり違うが、一定の数の人々が、同じ権利と義務を持って都市全体の意思決定に参画するようなシステムが出来上がっていた。しかしアテネはその繁栄の頂点において、多数決というシステムに乗った結果、誤った政策へと民衆を誘導する指導者を戴くことになった。デマゴーグの始まりである。その後、アテネは没落していく。

 確かに一寸先に何が起こるか分からない。まさに未知だ。自然災害についてもそうだし、国家運営でも企業経営でも同様だ。ある瞬間に手元にある材料を組み合わせ考えても、事前には本当の正解は分からない。しかし、私たちはその未知に挑み、意思決定をしなければならない。

 考えてみれば、その際に悪いことばかり拾い上げるのはバランスを欠く。良いことばかりに注目した楽観論もまた同様だ。悲観論であれ楽観論であれ、耳に入りやすい主張は極論の類となり、バランスを欠くことがしばしばある。

 多くの人の意見により、「空気」が形成される日本の社会。その中で、私たち一人ひとりがその「多くの人」を形成している。だからこそ、表面的に分かり易い意見を感覚的に受け入れる前に、自分の頭で反芻(はんすう)してみることが大事になる。社会的なネットワークサービスはそのためのプラス・マイナス両面の材料もまた豊富に提供してくれる。

 これからの日本は、高齢化や人口減少が進む中で、平均的な個人がより豊富な経験と知識を持った社会になり、かつ物理的にもより広い面積を専有できるようになる。経済がサービス化する中で、情報通信技術のさらなる進歩は多くのサービスをより廉価にしていく。グローバル化のスピードをうまく制御すれば、グローバル化そのものは全ての交易国をみな豊かにしていくし、その中で日本の「おもてなし精神」は世界に誇れるブランドを生み出すことができる。

 新しい挑戦が始まる折角の春だ。悪材料ばかりに注目し、行く道の困難さに憂鬱になってばかりではもったいない。良い要素も評価し、それをさらにどう育てるかという建設的な意欲を高めたい。同時に、理由付けのない心地良い楽観論に浸っていたのでは、必ずしっぺ返しが来る。批判的な目も必要だ。

 事後的にみた正解は、きっと分かり易い悲観・楽観の極論の中間にある。未知への挑戦に当たり、一人ひとりがそのどこかにあるはずの中庸を探す努力を重ねていけば、自ずと道は明らかになる。21世紀の民主主義がデマゴーグによって衆愚に陥る危機を避けることもできるはずだ。



神津 多可思

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