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あなたの会社の「イチロー」を探そう

=見抜いて育てる伯楽にも光を=

2019年04月18日

地球環境

研究員
野﨑 佳宏

 イチローさんが引退した。

 日本のプロ野球や米大リーグで大活躍した彼の現役時代をリアルタイムで見つめることができた幸運に、感謝する日がきっと来ると思う。亡き父は長嶋茂雄さんの現役時代を懐かしそうに語ることがあった。恐らく筆者も「イチローの現役時代をお父さんは知っているぞ。凄かった!」と、成長した子供に自慢げに語るかもしれない。

 振り返ればプロ野球オリックス入団から3年目の1994年、鈴木一朗選手が「イチロー」と登録名を変更した時、言いようのない新鮮さを覚えた記憶がある(同じタイミングで登録名を変えたパンチ佐藤さんを覚えている人はいるだろうか)。仕掛けた故仰木彬監督(当時)は単にアイデア先行だったわけではなく、二軍でくすぶっていたイチローさんの才能をいち早く見出し、一流選手へと開花させた名伯楽として名を上げた。

 逆に、入団時の監督で巨人のV9戦士として既に確固たる地位を築いていた故土井正三監督は、結果的にイチローさんに一軍での活躍の場を与えられなかったことで、引き合いに出されることが多い。

 二人の監督を思い出すと、中学か高校で習った漢文が頭の中に浮かんできた。

世有伯楽、然後有千里馬。
千里馬常有。而伯楽不常有。

 世に伯楽(はくらく)有りて、然(しか)る後(のち)に千里の馬有り。千里の馬は常に有れども、伯楽は常には有らず。

 意訳すると、「馬を見分ける名人(伯楽)がいて、初めて名馬が見出される。名馬はいつもいるが、伯楽はいつもいるわけではない」となる。

 漢文では最後に、「名馬に向かって、名馬がいない」と嘆く愚行を哀れむように終わる。名馬がいたとしても、それを見抜ける人がいないために名馬と誉められることがなく終わってしまうことを憂いているのだ。何千年も前に、既に「見抜く」ことの重要性が説かれている。

  「見抜く」だけでなく、「育てる」ことも不可欠だ。

 「多くの人が石ころだと思って見向きもしなかったものを拾い、10年、20年かけて磨き上げ、ダイヤモンドにする」―。2018年にノーベル医学・生理学賞を受賞した京都大学の本庶佑特別教授は、ある記事の中で研究の醍醐味をこう語っていた。石ころの中に混じった原石を見出しただけでなく、諦めることなく歳月をかけて育て上げたことで、まばゆいばかりの輝きを放つダイヤモンドに至ったのである。

 ところが、この本庶教授の言葉と出合って間もなくのこと。環境省のシンポジウムに参加した際、質疑応答セッションで「ESG投資は儲かるんですか」と"直球"の質問をした参加者がいた。これを聞いた筆者は「この人はESG投資の趣旨を理解しているのだろうか」と考え込んでしまった。

 ESG投資は短期的な利益を目的とするのではなく、環境・社会・企業統治に配慮している企業を重視・選別して投資することで、中長期的な企業価値の向上を促す意図がある。そうした企業に資金が流れれば、他の企業にとっても行動を変えるインセンティブとなる。

 もちろん会社員である筆者も、決算期毎に短期的な結果が求められることは当然理解できる。その対価として給料をもらっているからだ。それは理解しつつも、自省を込めて言えば現代の日本企業では「見つけて」「育てる」ことがあまりにおざなりにされていないだろうか。

 例えば、企業内に埋もれている優れた技術を見つけることができる仰木監督のような人間はいるだろうか。「育てる」ことに喜びを見出す本庶教授のような創造的な愚直さを持つ社員に光は当たっているだろうか。今日明日ではなく将来の利益の源泉を考えるなら、こうした社員もきちんと処遇する必要があると思う。

 ところで先程のシンポジウムでの質疑について、パネリストである有識者の回答は次のようなものであった。

 「儲かる儲からないの時間軸はどう考えているのでしょうか。ESG投資は抗生物質のようにすぐ効くものではありません。漢方薬のようにじわじわ効いてくるものです」―。企業の人材育成にも通じる納得感のある回答に筆者は膝を打った。

20190417.jpgイメージ写真
(写真)新西 誠人

野﨑 佳宏

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